名暦3年(1657)の新版大坂之図、延宝6年(1678)の大坂道おしえには、土橋となっている。 歩くところを土でかためたからか。立売橋と呼ばれた時期があり、明治に入って、槌橋と字は違うが、 もとの発音にもどったようである。槌屋という太夫置屋があって、その横町を槌屋横町といったことと、 筋は違うが何らかの関係があるかもしれない。旧町名でいえば、南は助右衛門町 (立売堀南通1丁目と2丁目の間)、北は立売堀北通1丁目の阿波堀花屋敷筋をつなぐ。
新一橋 阿古島橋 槌橋 明治橋 阿波橋 立売橋 宍喰屋橋 西二橋 高橋
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