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名暦3年版の新板大坂之図には「大目はし」永宝6年版の大坂道おしへには、「大炊はし」とあり、貞享4年(1687)以降は「中橋」といったが、
明治の後年より立売堀の地名をとって、立売掘と呼ばれるようになった。 旧町名でいえば、南は立売堀南側中之町(立売堀南通3丁目と4丁目の間)、北は立売堀3町目(立売堀北通3丁目と4丁目の間)をつなぐ。 大正11年改築、幅6.58m、阿波橋についで、細い橋であった。 写真は東から西に向かって撮ったもので、左側が西六側になる。 注1立売橋の誤記と思われます。 注2出典が西六いまむかしで西六連合町内会では立売堀南通が最北辺なのでこういう表現になっている。
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