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名暦3年以降、貞享4年以前の架設で、始めは新橋と呼ばれていたが、宝栄6年(1709)の公私要覧に西二橋となって載っている。
新一橋という名前が、立売堀川で一番最初に架けられたところからつけられたのに対して、この橋は西から二番目に位置する橋なのでつけられたという。
明和2年(1765)と天明7年(1787)の増補大坂図、および文化10年(1813)の大坂街絵図では西仁橋となっているが、後また西二橋と書かれている。
大正15年9月総工費22,600円
(坪当たり557円)で架けかえられた。
写真は西から東に向かって撮ったものである。
当時の西二橋あたりの現在写真。
橋の西側が拡幅されて現在の新ナニワ筋となっています。
立売堀9橋(槌橋の写真がないので残念ですが)
私は、この西二橋の雰囲気が一番好きですね。 |