笑傲江湖〔全7巻〕

作品解説:時代は不明。清代でない事は確か。崋山派の剣士令狐冲はふとした事で邪派に属する曲洋老人と衡山派の劉正風の最期を見取る事となった。その時二人から託された楽譜「笑傲江湖」が福州の林家が秘蔵していたとされる伝説の剣法の秘伝書「辟邪剣譜」と間違われた時から彼は正派同士の中に発生した争いに巻き込まれてしまう。彼は戦いの中で正派、邪派と言うもののあり方に疑問を抱き、自分の道を求め始めた。そして彼の出した結論は…。

林青霞(Brigit Lin)の当り役「男装の麗人」を生み出す切っ掛けになった作品「スォーズマン」シリーズの原作。しかしながら原作中の東方不敗は決してあんな性転換した存在ではなく、「葵花法典」(『辟邪剣譜』と同じ内容の魔教の秘伝書)の練功法に従い去勢した結果変になった爺?である。この作品は「碧血剣」の設定を更に飛躍させたものと思われ、二作品には共通するキーワードが多数見受けられる(崋山派、五毒教、正派、邪派…)。武侠物では正派、邪派と云う、早い話が善の武術派閥と悪の武術派閥が対立する存在として描かれる事が多く(昔の香港映画を見ればなんとなく判る)、正派の者は普通そのまま正義の存在として描かれる場合が殆どであるがこの作品では要は武術に善悪はなく、其れを扱う人間にこそ善悪があると語られている。尤も、邪派に属する武術は毒物を扱う等の陰険な手段が肯定されていて、やはりまともな人物は学ばないだろうと思えるのではあるが。本作品においては怪拳・奇拳の類が矢鱈と多く見受けられ、その中でも日月神教教主任我行(と令狐冲)の使用する『吸星大法』は、最早妖術の域にまで達されておりその効果は目を見張るものがある。亦、武術や戦いの描写の他、登場人物がそれぞれ掘り下げられており「書剣恩仇録」に比べて随分キャラクターの人格が判りやすい。主人公の令狐冲の性格が弱い(けっして武功上で弱い訳ではない)のが何だが。本作品はそこらの幻想小説よりも尚幻想テイストが深い傑作である。三○史演義等のノリに付いて行けない人にも充分に楽しめる。

お気に入りのキャラクター:岳不羣。崋山派の総帥である。彼は読書人であり、一族を殺され一人になった林平之を弟子として迎えるなど、その礼儀正しさから人に『君子剣』の渾名で呼ばれるほどの人物であるが、その野心は誰よりも強くその為にはどんな陰険な手段を取る事も厭わない。彼は自由奔放に生きる一番弟子の令狐冲とは根本的に相容れないタイプの人間であり、終には魔教の人間と関わった令狐冲を破門してしまう。だが、彼はいつも令狐冲に正派に戻れと言う。この辺りが非常に好感が持てるが実は令狐冲が破門される直接原因となった『辟邪剣譜』の紛失はこの男の仕業であり、元々彼は武林に覇を唱える為に『辟邪剣譜』を欲して身寄りのない林家の生き残り林平之に近づいたのである。つまり、彼の善意ある行動は全て腹黒い計算あっての事だったのだ。彼はその後、慇懃な態度と辟邪剣譜から学んだ剣法(無論彼も自分のナニを去勢して宦官化している)を以って嵩山、衡山、恒山、泰山、崋山の五派からなる五嶽剣派を統帥する事になり、全てを掴んだかのように見えた。が、さらに欲を出して敵対勢力の抹殺を画策、罠をしかけ慢心した途端に、嘗て自分が暗殺した恒山派総帥の弟子に刺殺されてしまう。彼が本物の偽善者である事が発覚したのは終盤に差し掛かってからの事である。確かに前半でも偽君子と言われる事はあったがそれは侮蔑の言葉であってそれ以上でもそれ以下でもなかったのだが(そのせいで読み始めの頃はつまらないキャラクターだと思っていた)、発覚しそれまでの経緯の裏が判ってからは非常に魅力ある人物に化けた。東方不敗などは目でもない。本作品中で最大の悪人はこの男だった。『書剣恩仇録』の張召重とは正反対のタイプの悪人である。だからと云う訳ではないがその分死に様はあっさりしていた様に見受けられる。

映画「スォーズマン」との違い
 ツイ・ハーク、キン・フー等によって映画化され話題となった映画「スォーズマン」シリーズ。ボンクラ映画として名を馳せるこの一連の映画において、原作の笑傲江湖とは設定が多少変化している。先ず、「スォーズマン」では「葵花法典」は禁裏の書物保管庫に保管されていた事になっているが、原作では「葵花法典」の方は決して黒木崖(日月神教本部)から持ち出されてはいない。林家の人間が所持していたのは「辟邪剣譜」の方で、ついでに言うと禁裏は原作には一切関係してはいない、故にキン・フーの「残酷ドラゴン 決闘龍門の宿」みたいな宦官の爺も出て来ない。この禁裏から巻物を奪う辺りの演出は「妖刀斬首剣」で忍者が少林寺から武術家名簿を奪取するのに非常に似ている。というのも「スォーズマン」の導演の一人に「妖刀斬首剣」監督の程小東が関わっている為当然と言えよう。崋山派の令狐冲は妹弟子の岳霊珊と共に朝廷の追っ手に囲まれた林家に助っ人として現れる。「スォーズマン」シリーズでは令狐冲は岳霊珊と添い遂げる事になるが原作では林平之の出現によって二人の関係は崩壊、令狐冲は日月神教の教主任我行の娘、盈盈と結婚する事になる。朝廷の手先となり現れる左冷禅は原作においては朝廷の走狗どころか物語の最後近くまで活躍する大敵役である。映画においてジャッキー・チョン(張學友)が扮する朝廷の走狗、欧陽全は映画オリジナルのキャラクターで林平之はあくまでも林平之である。やってる事はそう変わりないが…。崋山派の弟子達は原作と粗同じ。曲洋老人と衡山派の劉正風が「秘曲笑傲江湖」を作るのは同じだがそこに歌詞は存在せず、琴と笙による非常に美しい楽曲である。これが映画では「つぉーんほいやっしんしうー」と親父共のがなりたてる名曲?になる。この歌は人気があるのかゴッドギャンブラー2でン・マンタのおっちゃんが催眠術に掛かったシーンでも使用されていた。崋山派頭首の岳不羣が実は悪人であるのは原作通りだが原作ではもっと狡猾で最後近くまで其れは明らかにされないし、ついでに言うと恒山派の尼僧儀琳に殺される。日月神教は映画において雲南の五毒教とごっちゃになり且つ、苗族の反乱組織になっている。令狐冲に獨孤九剣を教える風清揚は大体同じ。でも獨孤九剣はあんな剣の勢いで空を飛ぶ剣法?ではない。原作では無論「2」の様に忍者は出ないし、日本人などは欠片も存在しない。日月教教主任我行は映画よりも原作の方が豪快だが技(吸星大法)の派手さは映画の方が遥かに勝る。映画では任盈盈の御付の藍鳳凰は原作では五毒教の教主で、殺される事も無い。東方不敗はあんな美形ではないし、ましてや令狐冲と何かなる事は決して無い。矢鱈と強い所は同じ。ついでに言うと「スォーズマン 女神転生の章」は完全に金庸の原作を吹き飛ばしたオリジナル作品であり、死んだ筈の東方不敗が生きていてスペイン艦隊をぶっ潰すなどと言う事は決してない。…こんなところか。

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