TOPページに戻る
更新情報 別窓、掲示板・ご感想・雑談なんでもどうぞ リンク このサイトについて・お約束事
メインコンテンツ・自作Music・MP3・MIDI 別窓、うさじろ〜ぐ、Blogもやってます。日記、音楽以外雑記 自己紹介
  >Top >Profile >その3  
 

Profile その3  
*with music in my heart …音楽をめぐるあれこれ 
  • 音楽と私の道のり(演奏/作曲/DTM)
    • 幼少時〜小学生時代
      小学校1年の時からエレクトーンを2年間習い、小3でピアノに転向、高校1年までの7年間習う。このころから、自分や友達のテーマソングなどと称してしょうもない歌を作り、歌っていたような気がする。
    • 中学〜高校時代
      中学2年の時に校内のブラスバンドに入ってトロンボーンをはじめる(高3の夏まで)。そして中学から高校にかけて、人から詩をもらってはいろんな曲を作るように。この頃、一度だけ多重録音(MTR)を試みて、デモテープもどき(8曲入り)を作ったことがあります。当時はMTR専用機なんか持っていなかったので、ステレオラジカセのLとRのチャンネルを使い分けて音を重ねていったら、3〜4回重ねたところで最初の音がぼやけて聞こえなくなってしまうという、超ローテクな代物。ライン入力できる楽器は買ったばかりのエレピしかなく、ドラムの音はコンピュータに打ち込んで出しました。
      このデモテープを含め、当時の曲はほとんど人には見せておらず、そうこうするうちに、中学時代に作ったか高校時代に作ったか分からなくなってしまいました。ひどい場合は、譜面すらなく自分の頭の中にしか曲が残っていないものもあり、早くDTMで形にしなければ…(←これも、当園を開いた理由の一つ)
      ところでこの頃、DTMもどきを既に体験していました。中学の頃に家族が、当時いわゆる「科学大好き少年」たちの間で流行っていたパソコン(当時は「マイコン」?)を買ってくれたのです。そう、BASICの時代の代物です、弟は早速ゲーム三昧でしたが、私が夢中になったのは、音楽とお絵描き(う〜ん、今と同じだ)。音楽は3和音がやっとで、ひと昔前の携帯の着メロよろしく、BASIC言語で打ち込むのです。打ち込んだのは既成の曲ばかりで、コンピュータを作曲に活用したわけではないのですが、上に述べたデモテープ用のドラムセットをこれでシミュレートしました。ちなみに、今言われるような「DTM」を始めるようになるのは、もーっともっと後のことです。
    • 大学〜大学院時代
      大学でブラバンを続けようかどうかと迷っていたところ、「入学祝い」で見に連れられたRay Charlesのコンサートで、バックのビッグバンドに感激し、ジャズの道に足を突っ込む。学内のジャズ研に入り、サークル内のビッグバンドでトロンボーンを担当、大学3年までここに在籍しました。
      ビッグバンドの傍らで、モダンジャズのコンボを作って演奏活動したり、何故かジャズ研の中でロック&ブルースバンドを作ったり、さらには学外のバンド(ソウル系)の助っ人をしたりと、大忙しの日々。そうこうするうちに、アドリブへの興味がとくに大きくなり、神戸や京都のライブハウスのジャムセッションに首を突っ込んでもいました。トロンボーンの他にピアノも弾くこともあり、上記のブルースバンドではピアノを担当、ジャズでも一度だけピアノトリオを結成しました。自分が組んだ楽団の中で最も印象深いのは、セロニアス・モンクの曲ばかりを演奏する10数人のグループ。レパートリーのいくつかは、自分でホーン・アレンジをしました。
      サークルのビッグバンドでは譜面の大半をメンバーの採譜でまかなっていましたが、いつしか私もその要員に加えられ、ホーンセクションの音を拾っては譜面にしていました。またコンボやバンドの活動でも、レコードやCDから音を取ったり、独自にアレンジしたりというのはしばしばで、これらを通して、和音やリズムやテンションの感覚がかなり鍛えられたと自負しています。
      一方作曲の方は、めっきりお休み状態で、高校の終わりに念願のMTR専用機を買ったのはいいが、ジャズを知ってからは、ひたすら吸収することに専念していました。
    • 大学院時代後半〜現在
      学業の方が忙しくなり、また下宿を引き払ってから、いつしかサークルと疎遠になりました。しかし捨てる神あれば拾う神あり(?)。この頃、美学関係のさる学会で出会ったのを機に、社会人のモダンジャズのバンドに参加することになりました。メンバーの一人が某女子大で教えていた美術系の学者で、彼の縁でその大学に「レクチャー・コンサート」なるものを「出前」したこともあります。 その女子大は美術系に強く、美学・美術史界に名を列ねる先生方も多いのですが、このレクチャー・コンサートがゆえに、私は彼らに美術研究者ではなくミュージシャンと思われてしまっているようです、困った困った。
      上記のバンドと時を同じくして、短期ですが、"The FEEL Jazz Orchestra"の立ち上げに参加したこともあります("FEEl..."はエリントン・ナンバー専門の社会人ビッグバンド。今や押しも押されぬ有名どころで、神戸ジャズストリート出演も)。仕事に就いてかもしばらくは細々とバンド活動をしていましたが、今やトロンボーンから遠ざかってはや一年以上が過ぎました。しかし、何らかの形で音楽は続けてゆきたい。そして、今の私に最も有効なのが、DTMなのではないかと思うのです。
      DTMを始めたのは、2000年の頭に「Singer Song Writer4.0」(SSW)を購入してからです。当園に最初にアップした3曲は、SSWを使い、QuickTimeの内蔵音源で音を返しながら、全て打ち込みで作りました。当時は我が家のデスクトップが古すぎてSSWを受け付けなかったので、PowerBookG3のトラックパッドでしこしこ入力していました(←これって世界最小のDTM環境では?)。しかし、このやり方だと余りにも効率が悪すぎるので、今後は外部音源と入力用キーボード(いずれも購入済み)を活用することになるでしょう。また、最近デスクトップを新調したついでに、オーディオレコーディングの機材とソフトも購入したので、いつかはそれも使ってみたいと思うのですが、何せメカオンチな私、使いこなせるのはいつのことやら…

+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+
 その1   その2   その3   その4

 
 
・-・-・-・-・--・-・-・-・-・-・-・-・-・・--・-・-・-・-・-・-・-・-・-・
 
kado
このHP著作権はうさじゐ/S.Kiyoharaに属し無断複製・転用禁止。Copyright©2001- S.Kiyohara All Right Reserved
kado


このHPの技術的なお問い合わせは HP製作 「A.I」