二百五香港映画
Hong Kong Movies for Bon-Kura

1.ワンチャイの主題歌、『男兒當自強』廣東語バージョンの歌詞
 所謂黄飛鴻シリーズのサントラには普通話の歌は収録されているものの、そのUまでの廣東語の歌(粤語)の歌は収録されていません。これは何故かと言うと黄飛鴻のサントラの発行元は流石唱片から出ている訳ですが粤語の歌の方はサリー・イップ(葉倩文)と不倫の末結婚した香港歌謡界の大御所の一人、映画「基[イ老]四十」にも主演していたヒゲオヤジことジョージ・ラム(林子祥)が歌っていた為です。この歌がないばっかりにワンチャイの主題歌はインチキ廣東語(笑)で歌うしかなかった人が相当数居られるかと思います。因みにこの歌そのものは現在でも中文系のCDを売ってる店ならば比較的容易に入手できる「Mastersonic 華納超極品音色系列 LAM林子祥」に収録されていますので、この曲だけが目当てで購入するのも亦宜しいでしょう。

発音上の注意:粤語の発音は少々表記を読むのにコツが有りまして、発音の表記をそのまま日本語読みしてもまともにはなりません。という事で少々補足。
xiの発音は人を黙らせる時の「しー」と同じです。
ngの発音は単語の後に付いた時は喉の奥で息を止めて「ん」を発音します。Neng=「ねん」、Guong=「ぐぉん」
mの発音は完全に口を閉じて「ん」。Nam=「なむ(ん)」Dim=「でぃむ(ん)」
単語の後に付くd、gは口の形は作りますが実際には発音しません。Yid=「いっ」、Big=「びっ」、Fud=「ふっ」 Ngo,Ngou,Ngong:発音する時鼻から抜ける様に。「んあ、んお、んおん」みたいな。
Zung,Zou:「じゅぉん、じょう」的に。
Seung,Yeung,Zeui,Ceud,Ceung,Keung,Heut,Heui:euの発音は「え」の口で「おぅ」を発音する心持で。「しぇぉん、ゆぇぉん、じゅぉい、ちゅぉっ、ちゅぉん、きゅぉん、ひゅぉっ、ふぇぉい」的に。
Qin:「ちん」。


2.金庸の原作『笑傲江湖』を読んだ上で「スォーズマン 女神伝説の章」を観てみる
原作との違いは明らかであるから、いかにその設定が利用されあの名作になったかを検証してみましょう。

『スォーズマン』の正式な続編だった。
 件の映画『スォーズマン』はキン・フーが監督で参加するだの何だので賑わった様だが映画としての面白さは「2」の方が遥かに高いと私は見ている。しかし、あの魅力的なボンクラ映画の基礎は第一作にその発端がある。明代の時代設定、苗族による反政府組織と化した日月神教、怪しげな獨孤九剣(剣を地面に突き立てた反動で変幻自在の剣を繰り出す武術、当然原作とは名前が一致するのみで中身は全くの別物)、最強の武術の秘伝書「葵花法典」、そしてジャッキー・チョン(彼が続編に出るものと期待したが結果は見ての通り)。これらが組み合わさって『スォーズマン』世界を構成し、更に「2」でその世界を日本にまで広げ、「女神転生の章」ではスペインまでもそのボンクラ世界の影響下においてしまった。キン・フーが導演に噛んでいたせいか、第一作のアクションはややごちゃごちゃした印象がある(と言うより、キン・フーの映画「残酷ドラゴン 決闘龍門の宿(龍門客棧)」の影響を受けまくったようだ)が、この作品がなければ「2」は存在し得なかっただろう。

程小東を導演に起用
 『妖刀斬首剣』で有名な愛好忍者的導演者の彼がいるのだから手裏剣に乗って忍者が空を飛んでも何ら不思議ではない。寧ろ彼が居たからこそ原作にはその欠片も存在しない扶桑(日本)の倭寇が殆ど無理やりにねじ込まれた挙句ああ云う形になったといえよう。(日本人の設定である服部千藏はまだまともと云えたが)主人公達の使用する日本語の怪しさ(「セシャギョガマイダ」「ドギョダドギョダ」「ヨグニダイガラ、ヅガマエデオグ」「オマイノタミガー」等。)もあの人が噛んでいると推測される。主人公令狐冲と岳霊珊は江湖世界からの脱出をせんが為(この辺は前作「スォーズマン」を参照)、心変りした任我行の追手から身を隠す為扶桑、日本へと旅立つがあれから彼らはどうしたのだろうか。日本で唸る崋山剣法、獨孤九剣…観たかった。この続編が何故か(笑)作られたならば監督は程小東。当然ライバル役は徐少強しかいるまいて。

東方不敗に林青霞を起用
 原作において前半には名前のみ、後半部においても出た見た死んだ的な扱いしかされていない去勢爺(尤も挿絵でもおかまの爺さんは描きたくないのか、日本語版第6巻の表紙はもとより大陸版の原書でも其れなりに美形だったが)の東方不敗。日月神教「葵花法典」の最初には「この武功を習得する為には先ず一刀を以って自宮(去勢)せよ」とあり、日月神教教主任我行(ヤン・ゴーハン)はそんなのやってられるかと一笑に付していたが、東方不敗はこれを実行、超人的な武功を得て令狐冲達を多いに苦しめた。映画においてこの爺さんの役を林青霞に起用し、麗人とする事で彼女は大ブレークし、以後似たような役を連発する事になる(「六指琴魔」「ファイヤー・ドラゴン」等)。しかし何度も見返していて彼女(役柄では男?だが)の最大の笑いのインパクトはやはり服部千藏とのずれた日本語会話であろう。どんな内容かは死んでも…言わない。

取敢えず忍者を出してみた。
 元々時代設定が存在しない原作を明代に設定する事で、明朝への少数民族(苗族)の反乱と言う形を背景にこの映画の骨子は成されている。日月神教は魔教邪派の一派であるが少数民族と言う設定が元々存在している訳ではなく、映画では同じく魔教の一つ、雲南の五毒教と混ざってあんな形に成った訳である。映画において日月神教とは漢人による抑圧から開放される為に始めた政治運動の一つだと解釈できる。この設定がこの映画に独特のトーンを与えている。中国には漢人以外にも少数民族が人口の数%存在しているが正直な所現在も抑圧されているとしか思われない事情を当てこすっている様に見うけられるのだ。或る日、教主任我行は東方不敗の姦計により幽閉、東方不敗は次代の教主となり当時豊臣秀吉によって扶桑を追い出された日本人と結託し「千秋萬載、一統江湖(永遠に栄え、江湖を支配す)」を合言葉に行動を開始した。で、倭寇となった日本人と手を組んでいるから、忍者が出現する事になる。何故かは問うてはならない。忍者ほど何をやっても許されてしまう連中はいない。ワイヤー・アクションにこれ程適した存在はないのだ。お蔭でラストの戦い以外のアクションの担当は殆ど彼ら忍者が受け持ち、作品の怪しさを更に強化していた。この映画は廣東語、苗族普通話(発音が共通中国語とは違うが文は同じ。下手な中国語とも云う)、日本語?が飛び交う国際色非常に豊かな映画であり、当時の国際交流を垣間見る事が出来る…訳はない。


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