金庸の武侠小説「笑傲江湖」を元にキャラクターのイメージを膨らませた全五十四話の大作連続テレビドラマである(普通三十話位)。ネットで流れている話からすると原作者御大は「やはり」気に入らなかったようで、この作品が終了しないうちから大陸で同原作のドラマの作成を許可し、2002年現在ではそっちの方もVCDが発売されている。本作品の撮影途中で徐少強は火薬の爆発に巻き込まれて負傷したが、命に関わるものではなかった事が確認されている。筆者がレビューを書くに当たり使用したVCDは大陸物で全27枚組の最も安価なものだが、字幕あり、双声と御得な感あり…しかし正確な放映話数のほうは未定。香港俳優は広東語、台湾俳優は普通話音声でそれぞれアフレコを行っている。徐少強演ずる向問天は普通話の方でも違和感が無くて好感が持てる。今までのは正直似てなかったからなあ。
原作にはほんの触りしか語られていなかった日月神教のお家騒動から始まっているのが何とも嬉しい。原作では中盤以降でしか出て来ない向問天(しかもかなりオヤジと言うよりもジジイくさい)を徐少強が演じる事によって若返った感じがする。おまけに曲洋老人までもナイスミドル化してしまった。雪花神剣以来の徐少強・姜大偉二人の競演は胸躍るものがある。エレベーター?でのバトルとか、やたらとでかい夕日をバックにしての戦いとか、笑ってしまうくらいにカッコ良い(昔の東映ドラマみたいだ)。
向問天の出番は二話でストップ。果たして何時出てくるやら。成長した任盈盈と最初の出会いにおいて、ニコニコ徐少強笑いしながら出てきてきっちり「いえ、結構です」と逃げられたり、曲洋に痛い所を突かれて激昂して暴れるのもナイス。監督に陳小東が居るだけに徐少強のキャラクターと言うものをよく理解している演出だと言えよう。二枚目では「徐少強・手鎖プール大脱出」まで見せてくれる。撮影の関係もあっただろうが、川に落っことされた割にプールにしか見えないチープさが笑いを掻き立ててくれる。
曲洋・姜大偉は映像だけ見ていると雪花神剣での羅玄そのまんま(やってる事も)なので、この二作品だけ見ていると姜大偉はロリコンオヤジにしか見えない(現に向問天にその手の事を指摘されている)のがなんとも。しかし立場上見せ場が色々有り、東方不敗との立合いまであるのには驚かされた。一体彼の出番は何処まで増えるのだろう。主人公の令狐冲(任賢斎)など完全に霞んでしまっている。あ、この辺の本編用のキャラクターは原作と殆ど変わらんのでパス。そういや、原作以上に弱いな、この作品中の令狐冲は。
勿論、小説と凡そ同様の展開も同時進行している(この六枚目の時点で林家を襲った青城派・余滄海のエピソードや劉正風の引退話が出ている)訳だが、演じている俳優の知名度、話の濃さからすると曲洋と任盈盈を中心に物語が進んでいるとしか思えないのが実に面白い。確かにこれでは原作者の金庸が扱下ろすのも無理ないが、向問天の出番が増える事もあり且つこっちの方が私好みの展開なので見る分には全く問題なし。原作はサブテキスト程度の扱いで良いからこれからも向問天の出番を増やしてくれと願うばかりである。
今回も向問天は期待を裏切らない大活躍である。水中大脱出の後、どう云う経過か左冷禪(顧冠忠)配下に捕まって棺桶に突っ込まれ、衡山近くまで連行されたのを任盈盈に助けられたり、秘密を知る(かも知れない)望月を尋問したものの、その高圧的態度に気を悪くした望月に煽られた結果、逆上して重傷を負わせたりと、原作での磊落なキャラクター像なんかはすっ飛ばして、徐少強の演じた今までの悪役キャラの典型的パターンを踏襲しつつぎりぎりの所で悪レベルには達していない、理知的で情の深い曲洋と対照的に激情家で酷薄な独自の路線を突っ走っている。
今回見た分で凡そ主な登場人物は出切った訳だが、このドラマでは緑竹翁一人が老人と傍目にも判る俳優を使用しているのみで、他の登場人物は軒並み若返っているか、アニタ・ユンの任盈盈に見られるように俳優本来の年齢を大幅に鯖読んで若作りしているかのどっちかである(彼女の場合はまあ、良しとしよう)。原作から類推される実年齢に相当するのは所謂中年組と、例外的に藍鳳凰位である。幾らなんでもリッチー・レンの令狐冲は老け過ぎだし、岳不羣よりもどう見ても若い左冷禪には流石に参った。幾らなんでもあれは若過ぎるだろう。見方を変えれば、このドラマの中での令狐冲は一番修行年数が長いにも関わらずヘタレであるとか、左冷禪はその若さにして寒冰掌を極めたので五嶽を代表する事が出来たとかあるのだが…そんなはずも無いだろう。
大凡原作通りの展開であんまり書く事もない、それは取りも直さず向問天が出て来ないと言うことである。何か書くものといえば、令狐冲が二枚目半の任賢斎であるお蔭か、悶々とする演技が嫌味無しに良い感じである。ちゃんと林平之の方が美形なのがよりこちらを納得させるものがある。任賢斎は2002年の大型時代劇『新楚留香』で全く似合わない楚留香を演じていたがそれに比べると断然良い。
他気付いた部分といえば、藍鳳凰が目立つ事だろうか。勿論、彼女の外見上のインパクトもあるが、こちらのつぼに嵌る可愛らしさがある。尚、彼女の喋る普通話バージョンの声は雲南出の私の友人のと同じ訛りがあるので多分本当に雲南出の人間を使っているのだろう。その他、藍鳳凰と共に田伯光が原作からカットされた儀琳のオヤジ等の分まで働かされている為か、原作より遥かに「友人思いのイイ奴」になって令狐冲の傍にくっ付いている。原作では物語初期くらいしか活躍の場がないが、このドラマではそのコミカル且つ熱いキャラクターが主役を食いかねない…いや、もう既に食ってしまっていると云える。
と言う訳で向問天が復活。再登場時の不敵な態度と貫禄は流石である。基本的に話す台詞内容は原作通りで特筆するものでもないのだが、今までの彼の冒険を見てきた人間にとってはいちいち頷けるものがあって、原作以上にカッコ良い。しかし何よりも徐少強的で笑えるのは、杭州に囚われていた任我行を救いに行き、令狐冲を身代わりにして逃げおおせた後、二ヵ月後に任我行と共に令狐冲を迎えに来た際に任我行の回復に手間取ったので遅くなった云々という台詞があるが、どう見ても白々しく見えるのである。向問天というキャラクターが決してそう云う輩でないのは頭では判っているものの、演ずる徐少強の微笑がそれを胡散臭げなものにしてしまっているのである。あと、徐少強は酒豪として知られているのだが、令狐冲と酒関連の談話をしている時は普段の状態そのものではなかろうかと想像されて微笑ましい。
後、任盈盈の令狐冲への拘りが原作以上にこまやかに演出されていてその辺がお気に入り。藍鳳凰にけしかけられて令狐冲の前に出たものの結局何にも云えなかったりとか、止せば良いのに林平之を人質に取って岳霊珊を令狐冲の世話に差し向けたりと色々やってくれる(藍鳳凰やら緑竹翁が裏で動いているのがいじらしい)。原作では殆ど唐突に言い出したに等しい「(令狐冲に)教団から抹殺命令が出されている」発言も、そう云う今までの積み重ねからつい出任せで云ってしまったと思わせるのも原作以上に判りやすい。此処まで見てると、原作者は単に原作に忠実か否かだけでこのドラマ作品を評価しているのかも知れないと下種の勘繰りをしてしまう。実際まだ半分近くあるわけだから一概には言えないが、原作者が原作どおりになる事を願って内地の電視局に笑傲江湖製作を許したのであれば、それはとてつもなく阿呆な糊塗ではあるまいかと思わざるを得ないのである。
本作は基本的に映画「スォーズマンシリーズ」をレスペクトしている(武術監督があの人のせいもあるが)ので、楽曲『笑傲江湖』がやっぱり『滄海一聲笑』だったり、獨孤九剣のアクションが映画まんまだったりと取っ付き易さでは群を抜いている訳だが、吸星大法の演出もその例には漏れず、単なるエネルギードレインどころか、全てを吸い尽くさんばかりの恐るべき映像演出である。恐らく一度でも目にすれば一生忘れられまい。
向問天、話が判っている様で全く判っていないキャラクター性が大爆発。誰が見てもサイコ野郎にしか見えない任我行を庇う庇う。何でも、彼の父が任我行に救われた事でその恩に報いようとしているのだそうだが、当の任我行本人がどうしようもない人非人なのだから報われる筈もない。にも関わらず、父に対して拒絶の意を示す任盈盈に対して「確かに敵に対しては一片の情けも掛けないお方だが、その実は決してそうではない。判るだろう」「(任盈盈の母の死に関して)あの時は日月神教を更に強力にしなければならん時だったのだ」等等の頓珍漢な台詞を訳知り顔で語るのである。画面の演出からは、向問天自身も任我行の行動に関しては決して良い感情を抱いていないのが明らかなのだが、それでも弁護し続ける彼の教主馬鹿さ加減は哀しさを過ぎて寧ろ滑稽ですらある。そのせいで任盈盈に「父の事を理解しているのは貴方だけでしょうね」と嫌味を言われる始末である。良いキャラクターだ。
今回は田伯光の活躍が印象に残る。田伯光は儀琳の一途さに本気で惚れてしまい、儀琳に「俺の嫁になってくれ」と告白するも、儀琳は尼である。出家者がそんな話を受け入れるはずもない。令狐冲も彼を殴り付けて叱り飛ばすが、そこで「出家者が結婚できないなんてそんな馬鹿な話があるか!もし出家者ばかりになったら、誰が子孫を残すんだ?それの何処が自然なものか!」と反論するのがカッコ良過ぎる。原作では忘れ去られたキャラの彼が此処まで良い扱いを受けるとは正直思わなかった。本作品では儀琳の父親・不戒が出て来ないが、出来れば田伯光が彼の役割も汲んで儀琳とくっついて貰いたいのだが…どうなる事やら。
後、岳不羣が辟邪剣譜を記した袈裟を朴って自宮してしまうまでの件が割りと丁寧に描かれている。其処まで至る経緯が、令狐冲から始まって勞徳諾の裏切り行為(陸大有殺し、紫霞功の隠匿)、林平之の岳霊珊汚辱(犯っちゃった)発言、左冷禪の五嶽剣派併呑案件と、彼の心身を削っていく様が良く判る。その結果彼は力を選んでしまったと云う演出は原作よりも良く出来ている。
今回は任我行の策士振りが見事だった。娘に嫌われたくないからと俄かに良い人のような素振りを見せ、東方不敗を倒して後、教主についてくれと追い縋る教団の生き残りに対して「儂はもう懲りた」と一度ばかりか二度も断るものの、任盈盈が見兼ねて「お父様、教主の座を継いであげて」と言うと、当初嫌そうにしているものの承諾、任盈盈と別れて黒木崖でその座に着いた途端『楊蓮亭と東方不敗の縁者は皆殺しにせよ。それから…任盈盈にはこの事決して洩らすな』と厳命、向問天、緑竹翁にも悪名高き魔法の薬『三尸脳神丹』を飲ませる始末。任盈盈の御墨付きがある上で、彼女には良い父親の仮面を付けつつ今まで以上の恐怖体制を確立し教団を支配…やるねえ。原作の権力の味を知って弾けるパターンよりも、元々こう云うサイコ野郎の方がずっとらしくて怖い。最早この時点で原作とはかなりの点で別物となっているのだがあんまり違和感はない。慣れというものは恐ろしいものだ。
あと、東方不敗が『葵花法典』の影響で性格が女性化した結果、原作以上に女々しいキャラクターになっているのは結構新鮮である。自分が任盈盈に対して優しく振舞うのは幽閉した任我行への幾許かの良心の現れでもなく、その実己に子供がいない事で彼女を自分の娘のように慈しんでいたからだとか、身寄りのない子供を引き取って自分が親代わりになっている設定とか(直ぐに楊蓮亭に子供たちは追い出されたが)、今までに見たどの東方不敗像よりも切ないキャラクターである。「殺せ!」と迫る楊蓮亭に母性を発揮して「殺しませぬ!」と言い返す件には心動かされるものがある。
さて、向問天の行動で気になるのは、任我行に対して何処となく余所余所しげな態度を取り始めた事である。まさか原作の設定をすっ飛ばして任我行が病で倒れる前に自分で手を下したりするのではないか、そう思わせる彼の沈思するアップが印象的。その視線の先が教主の椅子である事も忘れてはいけない。