射鵰英雄伝

射鵰英雄伝〔全五巻〕

　時は宋末元初。金国の王子完顔洪烈の横恋慕から始まった二組の夫婦の悲劇はそのそれぞれの息子達に類を及ぼし、片方の楊康は金国・完顔洪烈の皇子・完顔康として育てられ、もう片方・郭靖は蒙古のジンギス・カーンの庇護の下で育つ。彼らにはそれぞれ師匠が付き、それぞれが武術の心得を持つ。本来義兄弟として育つはずだったj彼らは、時代の流れに翻弄され楊康は金国皇子として生きる道を、郭靖は漢人として、侵略者である金国と戦う道を選ぶ。しかし、ジンギス・カーンの力はその身近にあった郭靖の想像を超えて強大化してゆくのだった。彼は庇護してもらったジンギス・カーンへの恩と漢人としての生き方のジレンマに悩まされる事に…

　…というのが全体の大きな流れであるが、実際元帝国を打ち建てるジンギス・カーンの出番は殆ど無い。というのも、結局この作品が武侠小説であっても大河歴史小説ではない為、主人公が大きな歴史の流れに関与する事は殆ど無い。あくまでも主人公はその時代に生きた少年・郭靖とそのカードの裏に当たる少年・楊康である。彼らはその全てが正反対の性格として演出される。それぞれの人生選択、恋愛対象の性格、武術…全てが正反対なのである。作者はそれぞれに見せ場を作りたかったのだろうが、話の中に出現するその他脇役の人物がでしゃばり過ぎて結果、個々のエピソードは兎も角、全体としての読後印象は私にとって必ずしも良くなかった。もともと新聞連載であったが故の弱みだろうか、まとめて読んだ時の盛り上がりに欠けるのである。主人公・郭靖がまた場当たりな正義感しか持たない人物の為に薄っぺらな人物にしか私の目には移らなかった事も一因だろう。彼の行動は他人に不幸を呼ぶとしか思えない。純朴なのは結構だが郭靖の馬鹿さと言うものには毒がある。あざとさが臭うのである。いわば計算された純朴さと言っても良いだろう。彼の浅はかな選択は結果として彼の母親を殺す事になり、また婚約者を悲しみのどん底に引き擦り込んでしまう。その罪業の重さがあるにも関わらず彼は純朴さを失わない。ここまで来ると馬鹿と言うより偽善者だ！と私には思えてならないのである。
　この作品のテーマは『英雄の資質とは何か』である。この作品で金庸が蒙古と中共を重ね合わせ、毛沢東とジンギス・カーンを重ね、暗に批判しているのは読めば直ぐ判るが、余りにもそれが露骨で鼻に付く。特に日本語版第五巻を読んで改めてそう思わずにはいられない。中共を、毛沢東を生んだのはそもそも漢人であり、それを他民族の英雄に重ね合わせるのは如何なものだろうか。自分達がそうだから他民族もきっとそうだ、と言う考え方は余りに危険且つ哀しい想像でしかない。

お気に入り：洪七公
　丐幇の党首で打狗棒法、降龍十八掌の使い手。恐らくこの物語で本当に自由な心を持った只一人の人物であろう。この作品の翻訳で丐幇が『乞食党』と訳され打狗棒法が『犬打ち棒法』と訳されてしまい、本来の文の持つ力強さが哀しいまでに破壊されてしまった事が悔やまれる。ここまで日本語に拘る必要も無かったのでは。黄蓉の愛称・阿蓉も『およう』とルビを振られる有様とあってはどうも納得が行かない。この分で行くと天龍八部の喬峰辺りにまで類が及ぶ可能性があるので、これらの名訳？は当作品だけにして頂きたいものである。

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