『陸小鳳伝奇』
 陸小鳳は渾名が「四本眉毛」という程立派な口髭を湛えた流浪子である。彼が酒を飲みつつ午睡を貪っていると突如として武林の高手に襲われ、それらを撃退すると美女が出現。しかも彼の前に跪いた。これは面倒事に相違無いと逃げ出した彼だったが相棒の花満楼がその女性丹鳳公主の手中にあると聞き、気の進まぬままに彼女の話に乗る事にした。なんと彼女は滅亡した金鵬王国の血縁の者で、二人は王国の奪われた隠し財宝と亡命した王子の捜索を手伝わされる事になってしまった。彼らは絶対的に強い非情の剣侠西門吹雪を助っ人に、財宝を略奪した奸臣達の足跡を追う。

 都合上この作品から紹介させていただく。私にとってはこれが初めて読んだ古龍の作品である。感想としては、まず「金庸よりも読みやすい」だった。文体が散文調で池波正太郎の作品を彷彿とさせ、さくさく話が進む。主人公はその武術の腕の高さの片鱗を見せるがあくまでもそれは彼の才能の一つにしか過ぎず、あくまでも頭脳派である。その分、アクション担当は西門吹雪が行い、絶対的な強さを見せ付ける。主人公達はハードボイルドの定石に従い、1歩違いで次々と犠牲にされる事件の関係者達。にも関わらず相変わらずの軽口を叩ける剛毅闊達な彼らの活躍は痛快である。同様の巻き込まれ型の探偵小説、例えば金田一耕助ものでは只管に暗くなる一方だが彼らの内包する明るさが救っている。

『聖白虎伝(白玉老虎)』
 先日ふらりと立ち寄った本屋で其の存在を確認し、購入したが…サイズが新書版、出版社が違う、あまつさえ其の表紙がこれ以上もないくらいに当世の流行りの絵柄、本の帯に「武侠小説の雄、古龍が描く…」と書いていなかったら絶対に武侠小説とは判らなかっただろう。本屋の方もこれが正統な翻訳小説とは気付かなかったらしくヲタク向きのエッチ系小説の置き場所に陳列させていた。何てこったい。漸く五月末に滞りなく最終巻が発売された。あの絵はどうにかならんのか!今まで和訳されてきた武侠小説の挿絵や表紙はどちらかというと渋めの絵柄で統一されてきたと言うのに、何故にこんな…私は非常に悲しい。一刻も早く渋めの表紙にして欲しいと願うが、多分無理だろう。確かに『陸小鳳伝奇』の後書きで他社からも古龍の作品が出版されるとは聞いていたが、こんなオチになるとは思っても見なかった。ああ、無情。

 過ぎてしまった事は仕方がない。取敢えず作品の紹介を。時代がはっきりしない古龍の作品世界においては、古龍用の歴史と云う物が存在している。つまり、作品世界の人物が、別作品の登場人物のいた頃から幾分時間の経過したと見られる世界に生活していると言う描写があるのだ。当作品は陸小鳳のいた時代から少々時間を経た世界と云う事になっている。というのは、小説の中に陸小鳳と西門吹雪の名前が語られているのだ。其の語り口調から、陸小鳳と西門吹雪は既に伝説に近い存在にされているので少なくとも数十年は経ったものと推測される。幇会大風堂の三大党主、趙簡の息子、無忌は衛鳳娘との結婚式当日に父を殺され、其の仇を討つことを誓い、仇討ちの旅に出る。途中出遭った、賭博狂いだが人探しの腕は天下一と目される軒轅一光に仇、上官刀を捜してもらう事にした彼だったが、大風堂と長年争ってきた幇会・霹靂堂の同盟者毒使いの唐家の刺客に襲われてしまう。彼は軒轅一光の助けで一命は取りとめたものの、事態が幇会同士の争いが裏にある事を知って愕然とする。已む無く、彼は復讐の為、屍と異名を取る地蔵老人の剣法を習得せんと九華山に登り、剣の修行に取りかかる。…というのが第一巻。第二巻で、無忌は地蔵と名乗る怪剣客に教わった武功により漸く(笑)江湖屈指の使い手になるが、古龍特有の「武功よりも推理」の話の展開上、やっぱり渦中に巻き込まれてしまう。騙し騙されのどんでん返しが続き、「で、次は何だ?」と物語の怪奇性に惹きこまれてゆく。第三巻で彼は何故父親が死んだのかと言う原因が思ったより複雑で根の深い事に気付く。彼は敵対する毒使いの唐家の人間、美貌の暗殺者唐玉(『陰陽怪気』の内功の修練により男女の性の区別すらなくした、つまりは東方不敗と同じ去勢者)の企みにわざと嵌り、逆に彼を追い詰め終には廃人にさせる。更に無忌はこの廃人となった唐玉を殺さず餌とし、裏切り者上官刀を匿う霹靂堂、敵陣深く単身潜入する作戦を実行する。第四巻で虎穴・唐家に潜入した無忌は上官刀を求め、騙し合いの生活を開始する。その中で無忌は奇妙な事に気付く。其れは彼の今後に非常に強い影響を与えるものであった。そして白玉老虎に隠された秘密とは?
 『楚留香 蝙蝠伝奇』にせよ『陸小鳳伝奇』にせよ、主人公の強さは既に一定のもの(当代有数レベル)に達しており、物語は彼らが其の経験と優れた推理能力で解決してゆくのに対し、この作品の主人公はさいころ博打の腕は兎も角、其の名の通り『無忌』、気兼知らずなだけで今一つ功夫の腕はべらぼうに強いとは云い切れない。そこで彼は目的を果たすべく修練を開始するのである。彼が練功を収め、一代の武芸の達人なった後に、物語の本編が姿を現すのだ。しかし、度重なる試練は彼に思慮を覚えさせ、徐々に放蕩不羈な部分が抑えられて無忌は物語の最初と最後では別人と言っても良い位に人格が変化してしまう。この点が他の主人公とは違っているのが興味深い。
 この作品には有り難い事に武術の絶招名に対しても解説が付けられている。武侠小説に奇妙な名称の絶招(技)の名前が連呼される事は当たり前なのであるが一歩踏み込んだ形で解説してくれるのは嬉しい事だ。

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