劍嘯江湖 The Swordsman(第一部)


柳生一劍:若い時(徐少強飾)

 96年に亞洲電視本港台(ATV)にて放送されていた古装物。『妖刀斬首剣』が更に設定を強化されて帰ってきた!。炸裂する徐少強ブレード!劉松仁なんかやっちまえ!でも視聴率は平均6%(最高8%)で裏番組の壹號皇庭に討ち取られたぜ!

 時代は明期。遥か日本から中原武林に単身乗り込んで来た男、柳生新蔭流・柳生一劍(徐少強)。彼は武林の高手に次々と戦いを挑み、此れを斬殺して行った。一剣の使用する剣法はどの中原武林の剣法とも違い、唯の一振りで勝敗が決してしまう。中原武林の高手達もこの男の出現を恐れ、江湖は騒然とし恐々とした日々を送っていた。あの日本人に対抗出来る高手は最早中原には居ないのか?伝説の男、燕北飛(劉松仁)、天下のあらゆる剣術を体得したと呼ばれる一代の大剣客が最後の希望として柳生に挑むが、彼も壮絶な戦いの上、相討ちに近い状態とは云え敗退してしまう。燕北飛は一剣に7年後再び決着を付けよう、其れまでは中原に来るなと、自分の蒙った致命傷を最後の力を振り絞って隠し約定する。これで7年は一剣が中原で殺戮を繰り返す事はない。だが、7年後再び現れる柳生一剣に対して中原武林の高手達は打つ手が無いに等しかった。最早燕北飛はこの世には居ない。中原武林の未来はどうなる?燕北飛の息子・孤鴻(張國権・我和彊屍有個約會の復生)の手に全ては託された!
…てな感じで始まるのがノベライゼーション。

 今回、全二十枚の簡装版(再編集・短縮版とも言う)のVCDに加え、ついに全四十話のビデオをレンタルすることが出来たので、それのレビューを書く事に決定。
 レンタル物である為、全話ダビングした上で原稿書きに取りかかろうと考えていたのだが、我慢できず最初の話だけ見てしまったのでそれだけは書いてみようと思う(徐少強はそれ以降又暫く出て来なくなるし)。この作品は前述した様に視聴率其の物は惨敗と言って差し支えない代物だったが、兎に角強い、絶対に強い一劍・徐少強の魅力大爆発のこの亞洲ドラマは、お気に入りの役者の殆どが出演して居る(呉廷Y、尹天照、洗浩英、楊恭如、甄志強、徐二牛等)だけではなく、ドラマ的にも二世代に渡る野望と怨恨、武林の正邪派の対立、闘いについてのそれぞれの見解、そしてお得意の多角形恋愛関係と非常に豪華で、特に物語後半の柳生一劍と燕孤鴻(成長後は劉松仁)の間で揺れる真のヒロイン・小蓮(楊恭如)の存在は彼女のファンならずとも必見であろう。
…日本人・一劍の扱いが素晴らしく良かった(良過ぎた?)為に、中国人には受けが宜しくなかったかも知れん、と考えてしまうのは邪推だろうか。

第一・二話(簡装版第一話)

 江戸時代の日本。師匠・柳生晨嚴を斬り柳生新蔭流最強の男となった農民一郎は、最強を示す名前柳生一劍(徐少強)と名乗り、己の剣の道を極めんと更なる強者を求め、大陸へ単身で渡った。そこで彼は僅か三ヶ月で36人もの武林の高手を生死決の闘いで打ち破り、武当や華山等の所謂正派の上層部を恐怖させた。彼らは(自分達の命と面子を守ろうと)刺客を繰り出すが、所謂中国の武術とは系譜が全く異なる日本の新蔭流剣術の前に全く歯が立たない(ノベライズによると一劍は余分な動作を行わずその名の如く初太刀で殆どの相手を斬殺している。尤もドラマでは必ずしもそう表現されている訳ではない)。最早中原武林もここまでか。
 一方、当の一劍は自分と対等に戦える人間の不在を倦んで、少しでも強い剣客を求め名門に照準を定めて決闘行脚に出た。その途中で彼は、正派の重鎮の一人・華山派掌門楚奔(曾[王韋]明、『精武門』の三師兄)の胸に付けられた一筋の剣跡を見て、その痕を残した人物が只者ならぬ事を知る。一劍は呆然とする彼らを余所に、その人物を追った。
 その人物こそ、正派とは道を異にする魔教の剣客・燕北飛(劉松仁)だった。しかし、彼は正派の人間と八年前に対立して以来、江湖から身を退いている。楚奔は『魔教の人間の手を借りるなど!』と反対するが、他の人間は正邪の区別など今更云っても始まらない、と旧来の恨みも何処へやら、助力を請いに行くのだった…

 広東語版の第一・二話を見る幸運に恵まれ、VCDの1巻から抜け落ちている部分が相当あるのでそれに対する補足を。大体判ったのだが、強引に二話を1巻に纏めてあるのが簡装版VCDの特徴の様である。これでは後に雪花神劍も借りねばならないだろう。
 第一話から(だから?)、パワー大炸裂。冒頭部分から師匠と真剣勝負し、斬殺する一劍。この時点では本名、農民一郎であるが…。筆者は字幕無しのVCD音声を聞いていて、何かおかしいな、とくらいに考えていたのだが…幾等何でもその苗字はないでしょうに。で、思い出したのが徐少強の英語名『ノーマン』である。広東語の発音だと農民とノーマンの発音は殆ど同じである事から、恐らく徐少強がこの柳生一劍と言うキャラクターと一体化すべく、己の名前を敢えて使用したのではないかと思えるのである。『一郎』はかの名作『妖刀斬首剣』の宮本一郎から取ったのだろう。つまりは、『農民一郎』ではなく『ノーマン・一郎』なのである。徐少強が自身と宮本一郎を重ね合わせて作り出した最強の剣士、それが柳生一劍の正体であるといえるだろう。
 彼にあるのは、只管に己の剣を極める事のみ。剣を通してしか己の存在価値を見出す事が出来ない、文字通りの剣鬼である。だから、彼は強者を求めて大陸へやって来たのである。『生死決(妖刀斬首剣)』の宮本一郎が、将軍の命を果たすべく、己の師匠の死を背負って必死必勝の覚悟で大陸に赴いたのとは全く違うのである。だから、柳生一劍は次々に武林高手を手に掛けて行く。
 無門関、仏に逢うては仏を殺し、父祖に逢うてはこれを斬る、しかして無。只己こそが真実。彼は己の真実を追究する手段として剣を選んだのである。他人を斬る事で己の真実に一歩でも近付こうというのだ。高手を斬るのは己の力量を確認する為である。正に苛烈其のものの生き方である。少なくとも日本で出版されている武侠小説においてこのようなキャラクターは存在しない。何処でもない、(敬愛するカズオ・コイケの作品に頻発する)歴史的日本にしか存在しないキャラクターが武侠小説の世界に出現したのである。
 これまで述べた事からも、画像からも、当作品が並々ならぬ力に満ち溢れているのは明らかである。有無を云わせぬ柳生一劍の存在感がここで示され、次々に武林の高手が斬殺されて行くシーンへと続く。彼の前には中原武林の(並の)高手など、まるで紙人形の如し。視界が限定され動きが鈍る豪雨の中で数人の刺客に襲われても全く動じず、流れる様に殺戮する。日本の時代劇の殺陣をマッハアクションにして更にワイヤー風味を持たせたもので実に見応えがある。このシーンに『生死決』の宮本以上のカタルシスがあるのは『悪の中国武道界が放った刺客』を次々に撃破して行くからである。

 ここに描かれる正派の領袖達の姿からは、所謂香港ドラマを含めた中国歴史物で必ずと言って良いほど存在した、絶対悪の日本人に対する絶対的正義の具現者、ヒーローとしての中国人といった、ポジティブなイメージは全くと言って良いほど感じられない。自己の保身と組織防衛に汲々とする、卑怯且つ陰険で器の小さな『小人』そのものである。あくまでも剣に命を託して道を極めようとする一劍に比べると、どう贔屓目に見ても『邪悪』でしかない。名門正派のその邪悪な素顔は、魔教に属する燕北飛に対して嘗て取った襲撃方法からも窺い知れる。燕北飛の仲間・火尊者を買収し騙し討ちにし、その襲撃者の一人は共に来ていた、楚奔の娘・心如(荘靜而)を盾にする始末である。第一話において、只一人中原で一劍に対峙でき得る力を持った燕北飛自身が、武林という"世間"から疎外された存在であることから、既にこのドラマの本質が異端者対部外者の孤独な戦いである事を図らずしも露呈させており、所謂正道の者が異端・部外者を倒すと言う『正義』から外れてしまったが故に、そして正義が正派ではなく異端者である燕北飛だけではなく、本来ならば決して与えられるべきではなかった筈の一劍にすら正義が委ねられている事が、視聴者にとっては受け容れられにくかった原因の一つではないだろうか。

 燕北飛の所に到達するには、毒気が大人の腰の部分から上に漂っている崖に掛かった橋を渡らねばならない。橋には『這いつくばらねば死』などと物騒な事が書かれた立て札があり、正派の一人はこれを侮辱と見て取り『こんな馬鹿なことがあるか!』とそのまま歩いてきっちりやられてしまう。武当派の若き領袖(元の領袖・蒼璧(徐二牛)は柳生一劍に斬られた)蒼松こと秦百川(秦[シ市])は、幼い燕孤鴻が渡るのを見て燕北飛の真意を見て取り、文字通り四つん這いになって橋を渡り、燕北飛と邂逅を果たす事に成功する。
 しかし、北飛は吐き捨てる様に『武林がどうなろうが俺の知ったことか!』と叫ぶ。自分の仲間を裏切らせ、騙し討ちにした恨みは消えてはいない。蒼松は仕方無しに踵を返すが、その時に孤鴻と心如が付いて来ていて楚奔との数年振り(文脈からすると駆け落ちしてからこの地に住んだらしく、八年振りと思われる)の再会を果たすが、親父も親父で意地張って『父などではない!』と言い張るばかりである。
 楚奔が燕北飛を事の他憎むのはこの為だった。心如は燕北飛に助けられてから彼を思うようになり、ついには駆け落ちしてしまったのだ。楚奔は激怒し、弁明しようとする心如に向かって『貴様などこの袖と同じだ!』と自分の着物の片袖を斬り飛ばして親子の断絶を宣言する。この時に燕北飛と斬り合いを二手演じ、件の傷痕が出来るのである。
 そして、それと入れ替わる様にして一劍が到着。しかしここからが真骨頂である。何と彼は毒気を剣風で吹き払ってそのまま渡り切って来るのである。剣で風を作るって…ゲームのキャラかいってツッコミが入るが、それを見た北飛が『ここに立ったままで人間が来たのは八年振りだ』と述べる件から、北飛もまた同じ事をやったようだ。
『だが、最早これからの人間が(同様にして)渡る事はない』
 この台詞から始まる二人の会話の緊張感が堪らん。自分が如何に強敵の存在を待ち侘びていたか、そして燕北飛こそが自分の知る限り、剣の最高の境地(物語後半では『有情剣の境界』とも云う。この時点では一劍のあるのは其処より一段下の『無情剣の境界』と思われる)に達した唯一の人間であるからこそ、自分の限界を超える為にも是非戦って欲しいと切々と訴える一劍に対し、『八年前に剣は捨てた』とあっさりと断る燕北飛の愛想の無さ。妻子あるが故に剣を捨てた北飛に対して己の願いを一瞬で砕かれた一劍だったが、それでも『待っているぞ』と言って紳士的に去る所も分別ある態度で好感が持てる。
 この時点で一劍の年齢設定は恐らく二十代後半から三十代前半の、剣士としての最盛期であろうと思われる。故に、未だ待つ事が精神的にも出来たのだろう。例えは余り良くないが一年遭えなかった恋人同士が約束を1日ずらしたくらいで諦めたりするか、というニュアンスだろうか。だがそれ故に物語ラストになって悲壮極まりない『俺は二十年待ったのだ!』の台詞が彼の口から発せられる事になるのである…
 この物語で、後に孤児となった燕孤鴻を育てる事になる武当派の新掌門・蒼松はもう一つ、秦百川という本名を持つ。彼は以前、その名で知れた緑林大盗つまりは盗賊だったが、人々から傅かれる、武当派領袖と天下一の座を欲して武当派に入門したのである。彼は自分が正派の掌門になったものの、その実情が殺人と陰謀の渦巻く、緑林大盗の闊歩する江湖と何ら変わりがない事に気付いた時、彼は何故自分が掌門になれたのか理解したのである。…つまり、一派を率いてその名声を揺るがぬばかりか、更に高める為には、権謀術数を操り、ありとあらゆる手段を取れる聡明な人間がその頭になるしかない、という事である。蒼松にはあと三人もの師兄が居たが、前掌門の蒼璧にとっては、そのどれもが不適格だったという事になる。
 彼は柳生一劍に『お主の天下一にならんとする野心は、同じものだ』と言われ、『後十年の修行を積めば我が好敵手となろう』と賞賛される。蒼松の中に燻る野心の炎を彼は見て取ったのである。其れを聞いた蒼璧も『儂の目は確かだった』と洩らす。更に、蒼松は燕北飛にすら『お前のような人間は初めてだ』と賞賛され、酒を酌み交わす事になる。だが、その一方で彼を元盗賊として嫌う人間も多く、正派の他(崑崙、泰山、崋山)の正派掌門達にも良く思われていない。結局、彼も燕北飛や柳生一劍同様、正道からずれた人間だと言う事になる。
……たった二話でここまで詰め込むか?

第三・四話(簡装版第二話)

 柳生一劍本人の要請を目の前にしても己の剣を取ることはないと決闘を断った燕北飛。このままでは燕北飛を柳生一劍にぶつけようと企んだ武当派前掌門・蒼璧の計画も全て水の泡となってしまう。中原武林のプライドの為にも、決して一劍を生かしてこの中原から扶桑(日本)に帰す訳にはいかないのだ。自分達の腕では到底、鬼神の如き一劍に敵う筈もない事も理解しつつも、残りの三大門派の領袖らは自分達で一劍に討ちかからねばならなかった。覚悟を決めた崑崙派の公孫雁(馮國・「精武門」霍元甲協力者の農勁孫)と泰山派の皇甫蜀(鄭恕峰)の二人とは別に、華山派の楚奔は燕北飛本人に直接交渉してもダメなら…と、娘の心如を利用して北飛を動かそうと企むが、燕北飛はそれに気付いて自ら心如と自分の結婚を正式に認める、と言う条件を持ち出して一劍と戦う事を選んだ。ついに最強の剣士が立ち会う時が来たのである。そして。
 一劍は思いも拠らなかった敗北を味わう事となった。彼は燕北飛に自らの必殺技を使用されて、敗れ去ったのである。
『何故負けねばならぬのだ…』
 彼は失意のまま、各門派の復讐の刃が煌く中で脇差を己の腹に突き立て海中に没した。
 柳生一劍が斯様な事態になった一方で、婚礼の準備に勤しむ燕北飛と心如。今までの彼らにとっては想像も付かなかったような幸せな日々を過ごしていた。最早家族の柵も消え、これからは誰にも憚る事無く生きて行く事が出来るのだと…だが、全てを見越していた蒼璧の計画通り、正派の陰謀は着々とその影で進行していたのである。蒼松は、自分の兄弟子から蒼璧の遺言状を託される。そこには、一劍と北飛の二人とも抹殺する様に記されてあった。柳生一劍と言う最大の障害が無くなった今、残るは燕北飛のみ。婚礼の儀式の最中に燕北飛を暗殺する様要請された蒼松は、躊躇うが兄弟子達の『武当の為に為す事即ち正道なり!』と押し切られてしまう。
 婚礼の儀式が行われる白雲山荘に集まった正派の人間は、婚礼の場に武器を隠し持って出席し、蒼松が手を下すその瞬間を今か今かと待ち受けるのだった…

 簡装版とオリジナルでは一劍の扱いにとんでもなく差が出てくるので、まず、抜けた部分の解説を。
 第一話で一劍の苗字が「農民」とあったが、これにも意味があった。一郎(後の柳生一劍)は、本当に播州の農民(ここでは小作農の意味)の出自である。彼は、水害、天災(わざわざ分けられていたが水害は人災か?)、不作などに悩まされ、そのくせ自分の田も持てぬ小作農の身分に嫌気がさして、自分の父も、妻子も全て捨てて剣で身を立てる道を選んだのである。
 そしてカットされた中で最も問題なのは、中原まで追い掛けて来た一劍の妻・千惠子(王微)に関わる場面が根こそぎ切られている事である。これがあるのとないのでは、一劍というキャラクター描写の根底が変わってしまう、それ程重要なものであるというのに…
 一劍の妻、千惠子が彼を追って中原まで来たのは、一劍こと一郎を故郷の播州に連れ帰る為である。一劍の父は大寒波の襲来によって水の供給が途絶えた為に、遥か山頂の温泉まで灌漑用水を引きにいって帰らぬ人となり、息子の小次郎を残して身寄りの無くなった彼女は息子を里子に出して彼を迎えに来たのである。
『俺は天下一の剣客にならぬ限り日本に戻る気は無い。帰れ!』
 と言う一劍に向かって首を振り、『そなたは小次郎の母ではないか!』と怒鳴るも『それでは貴方も小次郎の父ではありませぬか!』と言い返され、業を煮やした彼は自分が小作農である限り田も持つ事が許されず、惨めな暮らしを続けるなどご免だ、と叫ぶ。このネガティブな動機こそが一劍を剣士たらしめているのである。彼は自分にとって未練となるものを一切捨てて、剣一筋に生きる道しか己に残さなかったのだ。其れ故に、一劍は己とは全く反対に、妻子の為に闘えるとのたまう燕北飛に対して対立する感情を持たざるを得ない。そして、其れを象徴するかのように二人の剣も又、正反対の性質の物である。燕北飛の剣は天斌の才であるのに対して、一劍は自身曰く、『無数の敗北の中から勝ち取った』ものである。彼は自身を追い詰める事で剣の腕を磨き上げた努力の人でもあった。にも関わらず、一劍の届かぬ境界に燕北飛は到達している。
 そのジレンマに苛まれた彼は、唯一の心残りとも言えるものを自ら破壊する事で一切の迷いを断ち、北飛に並ぼうと恐ろしくも悲しい決断を下した。…妻・千惠子を斬殺したのである。全てを知った上で従容として自ら一劍の手に掛かった彼女の態度も又、余りにも悲しい。
 しかし、もっと悲しいのは、愛妻の犠牲まで出したにも関わらず、燕北飛に敗れてしまった事である。彼は亡き妻の墓前で己の絶望を語り、切腹を決意する。(第四話で切腹した彼がどうやって物語後半で復活したのかは今は不明であるが…)  斯様な演出を現在の日本の時代劇で見る事が皆無に等しいせいもあるが、ここまで『判った』演出を香港のドラマで見る事が出来た事は実に稀有な事と言えよう。この背景には、香港で現在の日本のぬるい時代劇を見る機会は皆無と言って良く、その代わりに60-70年代の名作時代劇がVCDで手軽に入手できるという現実があるからだろう。本作品における一劍のキャラクター設定には多分に若山富三郎の『子連れ狼』から拝借したと見られる部分がある(柳生晨嚴に至っては格好が柳生烈堂まんまである)のは本作品をご覧になれば一目瞭然と言う物である。
 こうした件を一切省いてしまった簡装版作成者の意図は筆者にとって全く理解の範疇を超えている。

 その他、簡装版にも収録されているシーンについて。
 楚奔が弄した策を見破った燕北飛が自ら条件を突き付ける件の会話もきな臭くて良い。この辺りから、楚奔目が全く笑っていないのである。殺気とも狂気とも形容しがたい楚奔の眼差しの演技は『精武門』の三師兄の頃より遥かに上達したと言えよう。娘を使って己を動かそうとする楚奔に辛辣な口調で攻める北飛に対して、自分には掌門としての尊厳がある、とうめき、『魔教と正々堂々と渡り合ってきた私が、このような手段を…』と弁解らしい言葉を吐くものの、『笑わせるな!貴様等正派は偽善者その物ではないか!』と北飛に吐き捨てられ、あまつさえ『正派の人間は皆、面子が欲しいくせに命を賭ける気も持たぬ虫けらだ!!』とまで言われてしまう。…確かにあんな作戦が正々堂々と言われたら燕北飛としては堪らんわな。尤も楚奔が苦し紛れに『老いたりと言えど、若造に説教食らうほど落ちぶれてはおらぬわ!!』と叫ぶのが又らしくて良い。
 そうした場面を踏まえながら、蒼璧の目的である『燕北飛と柳生一劍抹殺計画』が着々と進行して行く正派の人間の冷酷残忍な有様がこれでもかと描かれて行く。心如と燕北飛の心残りは、自分達が楚奔にその婚礼を認められない事だったが、それすらも利用して燕北飛を亡きものにせんと形振りかまわぬ彼等の余りの悪辣陰険さは特筆に価する。試合を終え傷付いた一劍の情報を、彼を仇と狙う連中に流すわ、婚礼の儀に乗じて北飛殺害を敢行するわ(この時に北飛を殺す為に楚奔は自分の娘ごと刺突を繰り出している。この傷が彼女にとっては致命傷になった)と、文字通り手段を選ばない。蒼松が嫌気が差すのも道理と言う物である。

 

第三部

第三十五・三十六話(簡装版第18話)

 父・端木旗が秦百川に倒された事を知った楚江南は、その場から必死で逃げたものの結局逃げ切る事は適わず、追い詰められた彼は秦百川、陸隠峰の目前で己に向かって掌を打ち出し自害した。
 これで江湖は七星樓の元に統一され、平和が取り戻されたのだ、と感慨深げに述べる秦百川に向かって陸隠峰は悲しげに首を振る。江湖は何も変わりはしない、と。それを裏付けるかのように、今度は秦百川を倒して名を揚げようと狙う者も現れ始めた。結局彼が多大な犠牲を払って得たものは何だったのか。秦百川の心にはどうしようもない虚無があった。
 秦百川の決心、それは江湖世界から足を洗い、懐かしい武当山で俗世から離れた、静かな余生を送る事だった。武当山に赴いた彼は、武当派の領袖・蒼木道長(楊嘉諾)と会い、自分の心境を述べる。蒼木もそれを快諾するが、そこに「それは許さん!」と口を挟んだ者が居た。
 なんと柳生一劍である。
 二十年前、彼は復讐者達の刃の中、自刃した筈ではなかったか。一劍はあの日、奇跡的に息を吹き返し、今まで何処かにその身を隠していたのである。生きていたのか、と驚く秦百川達。彼が再び中原に足を踏み入れるという事は、再びあの大殺戮が開始されるという事である。今や燕北飛も亡く、彼に対抗できる者などどこにも居ないというのに。だが、一劍は秦百川に対し、「最早どれだけの武術家を斬ったとて最強の名だけは得られはしない」と告げて自分にその意思はない事を告げた。だが、秦百川は彼が出現した理由が気になっていた。この剣鬼の真意はどこにあるのか。そして、彼の懸念は、彼の引退式の日、意外な形で実現した。
 死んだ筈の男がもう一人、楚江南が秦百川らの目前に現れたのである。
 彼は一劍によって蘇らされ、一劍の弟子として、一劍が最強である事の証明として一劍の代りに嘗ての彼の嘗て受けた恥辱を晴らし、自分の受けた鬼哭の恨みを晴らそうと中原に帰ってきたのである。
 生死の境にあった楚江南の心は限りなく死そのものに近く、其れ故に一劍の剣の極意「死意」を知り得たのである。そして彼の手には、日本の鬼山で手に入れた、真紅の刀身を持つ魔刀が握られていた。この時、楚江南の実力は二十年前に中原に現れた当時の柳生一劍と比べて遜色の無いほどに高められていたのである…

 とうとう最終部に突入してしまった。あと四話だと思うと悲しくもあるが、仕方が無い。
 一劍の復活、今回は其れに尽きる。髪は金色に変わるし(ハッタリの為にわざわざ染めている可能性高し)、妙なマジックアイテムやら死人を生き返らせる方術も身に付けて、益々その人間離れした強さに磨きが掛かるわと笑いのつぼも押さえているが、そんな要素も吹き飛ばす彼の余りに暗い情念はやはり健在である。簡装版ではやっぱり生きていた辛暁月と共にその出番の良い所がすっ飛ばされていた。特に一劍を語る上で重要と思われるのが、楚江南と秦百川が決闘するにあたってその前夜、一劍と秦百川が語り合う場面である。静寂を求める一劍は、自分が静寂と闇の中で生きてきた事を語る。
「闇の中、感じられるのは己の血流のみ。一滴一滴、流れる音だけが全て」
 彼の情念の暗さを表現するにあたり、「白髪三千丈」といった大げさな中国語的な表現とは全く違う、日本人的な表現が使用されているのが実ににくい。彼が重ねてきた数限りない敗北の経験を裏付ける恐るべき台詞である。一劍が燕北飛に敗北した事にあくまでも拘る事から、彼は嘗て自分を打ち負かした存在全てを再戦で倒して来ているものと思われる(だったら第四話で切腹なぞせず、とっととリターンマッチすれば良いのにと思うのは筆者だけではあるまい。大体、第四話で切腹する必要は後の展開からしても余計なだけだったし。ノベライズ見たく再戦の約定だけしていれば良かったものを)。
 彼にとっては「他人は自分の剣の礎でしかない」と言うこれまた暗い台詞が出てくるのもこの時である。  これは秦百川が一劍を理解する事が適わず「とうとう友人にはなれず仕舞でしたな」という溜息混じりの声に答えた「私には友など必要ではない」と言う台詞の後に続くものであるが、この時に秦百川は楚江南すらも彼にとってはコヤシにしか過ぎない事を悟るのである。決闘の結果、秦百川は全身の経絡を破壊されて瀕死の重傷を負う。その時に秦百川は燕北飛の剣法を使用したのだが、一劍は冷然と、守るべきものがない人間にあの剣法は使えん、負けて当然だ」と言い放つ。そして、この台詞を耳にして秦百川は一劍の真の目的が成長した白雲である事を確信するのである。一劍は既に、嘗ての自分が打ち勝てなかった燕北飛の剣が、己の「無情剣」よりも高い剣の境地「有情剣」にある事を理解している。ではそこで何故、楚江南に無情剣を教えたのか。それは後に明らかにされるだろう。
 物語の進行に伴い小蓮の行動が怪しくなってくるのがなかなか楽しい。カットされたシーンでは、(やっぱり生きていた)辛暁月に殺されかける(彼女は小蓮が莫愁、初陽を殺し自分に罪を着せたと考えている。かつ、小蓮が聖教教主の娘でない事も突き止め、証言が出来る生き残りを連れてくるが雪巓についた途端そいつは死亡。大爆笑もの)が雪崩の発生によって辛暁月はそれに呑まれて彼女と白雲は助かる(この時雪巓の家は破壊)場面がある。…それにしても報われんな、辛暁月。

第三十七・三十八話(簡装版第19話)

 楚江南との戦いの結果瀕死の重傷を負った秦百川は余命幾許も無い事を知り、白雲を父・燕北飛の墓前へと導いた。その墓は柳生一劍が自分を破った唯一人の強敵への哀悼の念を込めて立てたものだった。秦百川は白雲に一劍の情念を説明し、彼の目的が「再び燕北飛と合間見える事」であると知らせようとしたが、最早秦百川には「燕北飛になってはいけない…」と云う事しか出来なかった。こうして、江湖に平和をもたらそうと奮戦し、家族全てを失った男の生涯は閉じられた。
 陸隠峰は七星樓を継ぎ、その最初の仕事としてしめやかに秦百川の葬儀を営んだ。そこに楚江南が現れ、白雲を挑発し、あわや一戦と言うところで一劍が江南を止める。一劍は白雲に「有情剣とは何か、其れを悟らねば楚江南には勝てぬ」と忠告し去った。憤懣やる方無いのは江南である。彼は愛する女を奪い、七星樓乗っ取りの為に掛けた十数年を無駄にした張本人である白雲を早くこの世から消し去りたく思い、それで動いたと言うのに、一劍は楚江南の助けどころか、敵に塩を送る言葉まで与えたのである。
 一劍は「私が望むのは同等の力量を持つ者同士が戦う事そのものであり、勝敗ではない」とさらりと述べるが、実際に戦う彼にすれば堪った物ではない。一劍に対して疑いを持ち始めた江南は彼の身辺を嗅ぎ回り、ついに一劍の目的が何なのか突き止めたが、それは彼を慄然とさせるに充分だった。
 一劍は小蓮をだしに使って白雲に生きる為の目的を与え、白雲の剣を嘗ての燕北飛と同じ境地まで高めるつもりだったのだ。無情の斬人剣の最高境地にある江南は、嘗ての一劍と同じレベルだとしても、白雲が有情剣、つまりは他人の為に振るう剣の最高境地に入れば勝てないと言う事になる。若き日の一劍が燕北飛に破れたのと全く同様に。
『俺はあんたの駒じゃない!』
 江南は魔刀の力を最大限に引き出すよう秘密の修行を重ね、ついに一劍の想像を超えた力を得ると、陸隠峰を問い詰めて白雲の居場所を聞き出した。これ以上白雲に力を付けさせる訳には行かなかった。二人の最後の戦いが始まった。完全に悟り切らぬ白雲に対して圧倒的優位に立つ江南。しかし、そこに小蓮が現れた事で、白雲の気力が満ち、ついに燕北飛の秘剣・離手剣を自家薬籠のものとした彼は江南を打ち破る事に成功したのである。
 一劍は白雲を褒め称え、彼の事を「燕北飛」と呼んだ。二十年の時を経て再び再戦の機会に巡り合えた一劍は十日後に試合を申し入れ、白雲は快諾した。
 一劍を止められるのは自分しかいない、その自信の現れだった…

 今回、簡装版では削られたが一劍と小蓮の関係が明らかになる。一劍は二十年前の事件の後、大漠と呼ばれる砂漠の地(多分モンゴル辺り)に行き、そこで己を省みている時に小蓮と出会ったのである。小蓮は誰とも交わろうとしない異郷の怪人に唯一人自ら近付き、好を通じた。一劍も(己の剣を無情剣から有情剣へと昇華させる手立てとしてかどうかは分からないが)彼女を愛するようになっていた、というもの。 この時の楊恭如の民族衣装姿のとてつもなく可愛い事はさておき、一劍が中原に白雲を探しに行こうと彼女を同行させるその場面まで彼のヘアースタイルが昔のまんまであった事から、金髪・金眉が染めている事も確定した。奴は数百年、流行を先取りしていたようだ。
 其れだけでは無く、一劍が白雲の行動を逐一モニターしている事も明らかになる。白雲の行く先々に一劍はふらりと現れると彼を導く一言二言を告げる辺り、こうした台詞を言える彼の精神的余裕と、燕北飛と再戦したいと云う熱望が伝わってくる。好きなのは莫愁の墓前で自分の迷いを告げる白雲に対して「傷付くのはお前だけではない。お前の愛した人も傷付くのだ。…死人は何も感じぬがな」と言う件である。そもそも自分が命じて(本人は強制しないと云っていたが大して変わらん)小蓮を近付けさせておきながら抜け抜けと云い切るこの理不尽さ(白雲自身は知らんが)。素晴らしいの一言である。どうしてこの作品には彼といい、楚江南といい、卓越した陰謀家が頻発するのだろう。楽しすぎる。…彼が白雲に付きまとうのはストーカーではなかろうかと思わなくも無いのだが。
  小蓮と一劍の切ない掛相も見所だろう。「燕北飛と再戦できれば、その後はまた大漠へ戻ろう」と云い続ける一劍、「もう誰も巻き込みたくはありません」「白雲をこれ以上だますのは嫌です」と拒みつつも結局は一劍の笑顔見たさに要請通りに動いてしまう小蓮。互いを騙し騙し続く二人の切ない関係は見ていてこちらも辛いものがある。この二人は物語の全てを知っているが故に悲しいのである。
 辛暁月はついに半死人状態に(一劍に追い詰められて崖から落ちた結果)。この人、一体何度酷い目に遭う事やら。ここまでくるとお笑い担当か?といぶかしみたくもなるが、彼女の演技の確かさがその「匂い」を薄めている。この人、キョンシーデートの白蛇さんであるがこのドラマでの扱いは「匂魂悪夢」での役に近いものがある。

第三十九・四十話(簡装版第20話)

 自己を父・燕北飛と同一化し、一種の狂気に陥った白雲。しかし、其れこそが一劍の目論見だった。一劍は初陽、莫愁を得た白雲に嘗ての燕北飛を見、このままでは白雲が自分と戦おうとは決してしないだろう事を危惧し(燕北飛が一劍と戦ったのは結婚を認めてもらう為だったが、白雲の場合それがない)、彼女らを消したのである。そして彼は小蓮を白雲に近付けさせ、巧みに彼の心を小蓮に向かわせた。…有情の剣を持たせる為である。そして一劍の最大のトリックは、決闘当日に小蓮をその場から遠ざけ、自分は彼女の託した草のバッタ(大陸ではしばしば見受けられる民芸品)を懐に忍ばせる事で、同じ女性を守る為の有情剣同士の戦いにおいて精神的優位に立とうとした事だった。
 だが、一劍の目論見は小蓮が決闘開始のその時に突如として現れ、全ての自分の所業を露呈した事で脆くも崩れ去ってしまう。白雲は自暴自棄に陥り、燕北飛の強さを再び失ってしまった。怒った一劍は彼を幽閉し、莫愁らを殺した事も告げて自分と戦うよう強制するが白雲は一劍の目的を見抜き、戦わずに彼が老いさらばえて行くままに抛っておく事こそが一劍に対する最強最悪の手段である、と只管に拒み、彼を嘲笑するのだった。業を煮やした一劍は李邁を連行し、「戦わねばこいつを殺す!」と脅迫するが李邁は従容として微笑さえ浮かべながら自ら一劍の刃に身を差し出し果てる。この意外な展開に一劍の狂気の度合いは益々高まり、ついに一劍は「貴様が戦わぬ限り、殺し続けてやる!」と大殺戮を開始する。
 小蓮によって幽閉から脱した白雲は、武当山で蒼木から「君らの間にあるのは恨みだけだ。恨みは痛苦を生み痛苦は更なる恨みを呼ぶ。『万物に愛あり。全てを忘れ自然と一体と成す』のだ」と諭される。
 その教えのまま、静かな漁村で人々と共に暮らす事で一時の平穏を得る白雲。しかし、その間に武当山、七星樓は一劍たった一人の為に壊滅させられ(陸隠峰は辛暁月の世話の為に医者の所に滞在していた為無事)、そして又漁村でも同様の殺戮を行うが、全員殺される寸前で白雲が止めた。
「もうこれ以上あんたに人殺しをさせる訳にはいかない!」
 三日後、全ての決着が果たされようとしていた。愛する者に裏切られた白雲に勝機はあるのか…

涙無しには語れぬ最終話までの盛り上がりを見よ!

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