お気に入り王菲〔Feye Wong〕の歌曲

もはや説明不要なほど日本でもメジャーになったに違いない彼女。あれほど昼夜問わずテレビで流れりゃ嫌でも耳に着くわな(嫌と云う訳ではないが)。中国語のアルバム(チャン・ヨウの事)が日本のテレビコマーシャルで宣伝された事も今まで無かった快挙である(ブラックビスケットの様な変則的なのは過去にもあるが、どれも中国語のアルバムそのものが宣伝されてはいない)。旨く媒体に乗っかったと言うのか何と云うのか。ともあれ日本ではマニアの領域以外の何者でもなかった中文通俗歌謡が一般ジャンルに近づく切っ掛けになってくれれば良いが。今度は是非とも大阪ドームでコンサートして欲しいものである(東京なんて行けるかよお)。FF8が売れた功績の一翼は彼女の歌声によるものだと信じている。って書いてる傍からプログラムミスかよ。勘弁してくれスクエア。縁起でもない。

 

普通話

『執迷不悔』邦題「悔やまぬ心で」5:22

アルバム『執迷不悔』及び『謎』に収録されている。個人的にはアコギのオリジナル版よりも『謎』バージョンの方がお気に入り。『執迷不悔』と云う4文字は元々中国語表現の『執迷不悟:間違いを悟らず固執する事』と云う熟語を捩ったもので、良く付けた題名である。曲そのものよりも「自分は自分以外の何者ではなく間違いだろうと後悔はしない」という歌詞内容に惹かれた。この歌の歌詞は王菲自身の手になるもので、それは彼女の作品制作への態度…決してそれが人に必ずしも好意的に受け容れられる訳ではないけれど…の顕れであり自身への誇りを表していると言ってもいい。この世の中にこの歌と同じように自分と云う物を堅持しつづける事は非常に難しいが、それでもこの歌を聴いていると流されるだけじゃあいけないな、と言う意識くらいは沸きあがってくる。「そうである」ではなく、「そうあるべき」ものを目指す彼女の歌声はあくまでも気高い。この歌の澳語版は香港TVBの人気電視劇「壹號皇庭」シリーズの第二作、王菲が司法関係者の役で出演していた時に挿入歌として使用されていた他、何故か譚詠麟Alan Tamがカヴァーしている。

『天空』4:19

同名アルバムのタイトル・チューン。心をリラックスさせるのに最適な曲。彼女の歌と伴奏とが見事な調和をなして、まるで野原の真中で寝転がりながら青空に浮かぶ白雲を見ているかのような気分にさせてくれる。この歌で言うところの『空』というのは心その物を指し、恋人を想う自分の陰陰とした曇天の様な心と自分を雲や月に擬えて恋人の心に存在しているかを内心で問い、自分達の心は何時になれば一つになれるのだろうかと想い、二度と心に暗雲が掛からない事を願う女性の心理を顕している。

『紅豆』邦題「アカシアの実」4:15

アルバム『唱游』及びシングル『Eyes on Me』に収録。『唱游』に収録されている歌の中で一番お気に入り。それは聴くにも覚えるにも口ずさむにも容易と云う事であり、逆に云えばオーソドックスな中文歌曲と云う事でもある。歌詞の内容は「今は二人とも未だこれからだけれど二人の仲が川の流れの様にずっと続きます様に」というもの。非常に綺麗な歌詞である。『Eyes on Me』にはこの歌の歌詞、対訳のどちらも割愛されていた。しかも、題名「アカシアの実」である。そんな名の王菲の歌なぞあったか?大体アカシアの中国語訳は金合歓、でなければ洋槐、刺槐である。EMIどころかCinepoly時代にも存在していない。ひょっとすると新曲か?と一瞬期待もした。するとこの曲である。聞いたときに思わず「何で紅豆(小豆の事)がアカシアやねん!」と突っ込みを入れてしまった。紅豆は古詩に曰く相思相愛の象徴である。だから歌詞の中で「還沒為ィ尓把紅豆 熬成纏綿的傷口…(未だ貴方と相思相愛になれず癒されない心の傷)」という表現が使われているのであってアカシアなんぞ何処にも使われてはいない。一体何処からそんなもんが出て来るのだろう。

『Eyes on You』があっても『唱游』の無い人用に歌詞をのっけます。(発音付き)

『紅豆』

『百年孤寂』3:55

 '99年発売のアルバム「王菲只愛陌生人」に収録。このアルバム、離婚後の彼女が思い出を振り切ろうとするかのような、前に出ようとする感じの曲が多く、今の筆者の心情にぴったしのアルバムである。その分、彼女の他のアルバムとは明らかに違う印象を受けるのも確かである。振られた側の人間が相手を恨むでもなく、未練を持つでもなく、その事実を冷静に受け止める。この歌もそんな内容の歌である。『百年前には私も貴方もいなかったし、百年後には私も貴方もいないでしょう』当たり前の事なのに、何か救われた感じがした。確かに今の目前には砂漠のごとく誰もいないかもしれない。だが所詮人なんざ百年のスパンで考えればそんなもの…恋愛の結果にいちいち拘泥していては限が無い…そんな風に聞こえた。さて、私も次を探すとしようか。

粤語

『愛與痛的邊縁』邦題「愛と痛みの狭間で」4:33

アルバム『討好自己』に収録。广州天河で聴いた瞬間に体が動いて気が付けばレジにCDをもって突っ立っていた。私にとって有る意味中文通俗歌曲にどっぷりつかる切っ掛けになった運命の曲。低音から始まり、サビのところで一気に高音に駆け上がり聴く者の心を捉える、典型的な中文歌曲、内容も仲の冷えた(別れたのかもしれない)恋人を想ってどうにもならない心情を歌ったもので王道も王道である。だが彼女の卓越した歌唱能力が他と一線を画した出来にしている。聴いていると胸が締め付けられるような心情にさせられる。雨の中で夜中の1時から3時まで来ない男を一人ぼっちで待つ女、想えば想うほど千地に乱れる心…身震いするほどである。カラオケでも歌い易いとあって粤語歌を歌える中国人小姐に好まれている。

本物か偽物か?アルバム『望着天空的女孩』

 98年の1月末に私は上海経由で广州に遊びに行ったんですが、上海は南京路で30元(当時450円位)で入手したのがこのアルバム。どうやら香港でデビューする前に大陸のどっかで録音したと思われる、全16曲入った物なんですが…非常に怪しいんですわ、このアルバム。まず、今の彼女の歌どころか、Cinepoly時代の歌声とも似てもつかない歌唱法。聴いてみるとその声調から王菲と思われるんですが、声が若いわ、録音がしょぼいわ、歌い方がテレサ・テンに酷似しているわ(と云っても、このアルバムに収録されている歌はテレサのカヴァーばかりだから、彼女の『テレサを歌の手本とした』と言う話もあるので一概に偽物と決め付ける事も出来ない)、とパチもん臭さがぷんぷんしています。歌の伴奏が又しょぼいので、まるでカラオケで歌っているのでは?という錯覚すら起こさせます。勿論、このアルバムを録音したと思われる当時の大陸は香港から比べると遅れる事も甚だしく、録音設備もしょぼい可能性は充分に有ります。そんな事、あんな事を考えていると思考の迷路に入りこみ、真偽の程を確かめずには居れないのですが、当然の如くディスコグラフィーにも掲載されていない代物なので多分これは本人のみが真相を知っているのでしょう。ネタ的にはまるまる一年以上昔のものですから、誰かが使ってるだろうと思いましたが、これが不思議な事に誰も扱っていないので取敢えずここに掲載し、誰かが知っていれば何か反応があるだろうかと云う事にしました。収録曲の中には名曲『甜蜜蜜(最近では黎明や夜総会バンドのA-minがカヴァーしている)』やら『漫歩人生路(中島みゆきの「ひとり上手」カヴァー)』から始まって果ては『Mr.Postman』まで、普通話、粤語、英語と色々入っています。こうして今、そのアルバムを聴きながらこのカラムを作成しているのですが、やっぱり本人か否かが気になって仕方がありません。

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