新・天龍八部〔Dragon Story〕

領銜主演:徐少強 陳玉蓮 惠天賜 高雄 他

 金庸の原作『天龍八部』を凄まじく縮めて二時間弱の映画用スケールに収めてしまった、ある意味凄い作品。
 物語は宋の時代。大陸は幾つかの国に分かれているものの相変わらず漢民族至上主義(中華思想)は不滅らしく、契丹人やら金族の人間は夷敵・蛮族扱いで人間とみなされていない。そんな中、主人公三人(喬峰、虚竹、段誉)は民族のアイデンティティよりも己の結び付きを重んじる生き方を選び、その結果、他の中華主義者達の迫害を受ける事に。そして、契丹の血を引く喬峰は結局自決する道を選んでしまう…中文版で全五巻にも及ぶ(笑傲江湖で全四巻)長編作品である原作を思いっきり短く述べるとこうなるが、映画は正にこの短い解説をそのまま映画化してしまったようだ。当然原作に出現する人間もばっさりと省略し、人気の無さげなキャラクター(灰汁が強くて話が長くなる原因になるとも言う)連中はまるきり姿を消している。にも関わらず、金庸の作品と言う物はテレビドラマにでもしない限り再現できない(話が散漫なせいだが)というジンクスはここでも生きており、原作を見ていない(若しくは香港漫画家・黄玉郎の漫画)限り余りの展開の目まぐるしさに『なんじゃこりゃ』と思わせてしまうに違いない出来に仕上っている。

 徐少強の演ずる喬峰は主人公三人の中で最も酷い目に遭う悲劇の人物で、幼少の頃契丹人の父母が帯頭大哥なる人物に殺され、漢人として育てられてその後丐幇の長となるものの、何故か乞食の世界にも存在した中華思想によってその座を追われ、己の出自に一時は悩んだものの、自分は自分だと言う事に気付き立ち直り、恋人を誤って手に掛けたりその妹に誤って手を出したり(あれ?)した困難苦難も何のその、ついには漢族の為に遼国の耶律洪基の侵攻を防ぐ。が、そんな大英雄である彼を漢族は誤解し憎み、ついには喬峰は自分が守った漢族に自殺に追い込まれてしまう。そのドラマティックな人生と絶対的に強いその武術(降龍十八掌の使い手)の腕は読者のお気に入りとなり、金庸の生み出したキャラクターの中でも特に人気のある存在である。
 その喬峰を徐少強が演じているのである。少なくとも、この作品が上映されていた80年代、徐少強は紛れも無くスターの一人だったと考えるべきであろう。古龍の原作を映画化した『飛刀又見飛刀』で古龍作品中最強のヒーロー小李飛刀を演じてもいる徐少強、多分古龍・金庸共に人気最高峰のキャラクターを演じた事のある俳優は彼しかいるまい。それが何故に映画ではバイプレーヤー専門になってしまったのか。彼がテレビドラマの世界では未だにスターである(本当か?)事を鑑みると、映画の仕事よりもテレビの仕事のほうが自分に合っていると考えているのかもしれない。
 その他目を引く点では、この作品でも高雄が出現している事が挙げられる。彼が演じているのは吐蕃国からやってきた最強を目指す怪僧・鳩摩智。己の手から高熱を発する奇功・火焔刀の使い手である。映画の中では彼の扱いは粗原作通りで、段誉の北冥神功に内功を剥ぎ取られて一気に改心するとこも同じ。とはいえ、高雄がやってるんだからもっと往生際が悪くても良かったような気はする。

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