二百五香港映画
Hong Kong Movies for Bon-Kura

3.ドニー・イェン主演「精武門」
 何年か前の香港電視劇で大人気になったドラマ、それが「精武門」である。このドラマは早い話、ドニー・イェンがブルース・リーの「ドラゴン怒りの鉄拳」を電視劇として復活させたものである(李連杰主演の「ドラゴン怒りの鉄拳」のリメイク「フィストオブレジェンド(FoL)」を見て甄子丹が企画を持ち込んだらしい)。中国留在の時、私は再放送で何度か目にして興味を持ち、偶々广州の友誼商店(花園酒店の向い)でVCDが全14枚組み約5000円弱で売っていたのを購入した。このVCDは残念ながら大陸仕様で普通話のみの音声、しかも極限まで無駄が省かれていたものだった。つまり主題歌や予告は一切抜き、スタッフロールも最終巻のみ付属、しかも第何話かすらも不明な編集をされていたのである。確かに話は全て端折られたりはされていなかったが何か悲しいものが有った。最大の悲しみは普通話音声のみの為中文字幕が付いていなかった事である。
 さて、本編の内容はというと、李小龍+李連杰/2+α。その理由として最大の物は中原制覇を企む日本軍部の悪の秘密結社黒龍會が存在する事である。
 『FoL』を見た方々ならばご存知だろうが、黒龍會と言えばビリー・チョウ演じる藤田が参加している所である。まあ、実際何を考えてあんな組織を作ったのかは謎だが何と言っても武士道を『個々の正悪を忘れ 天皇のために命を懸け 歴史上の罪人になる事さえ厭わない事』と断じてしまうような危ない組織である。藤田の代りに武田という、名前が違うだけでやってる事は全く変らないおっさん(吉本新喜劇の五郎ちゃんに似てる)が出て来る。芥川の代りも当然いる。黒龍會のアジトには中国の地図が掲げられ、彼達は何故かナチ式の右手を斜め前方に突き出す敬礼を行い、日月神教の連中の様に「江湖を支配す」と標語を掲げたりもする。

 黒龍會についてはその辺にしておいて。主人公陳真(ドニー)は広東省の田舎の農家の子倅だった。彼は親の作業を手伝う傍ら、自学自習で拳法を習得していた。当時の中国は馬賊が横行し、彼方此方で略奪が頻発していた。そして馬賊の魔の手は彼の家にも伸び、彼は馬賊を一人で壊滅寸前に追い込み撃退するものの、妹を残して家族を皆殺しにされてしまう。彼はたった一人の妹と共に縁者を頼って上海へ行くが縁者は彼等兄妹に冷たく、金を失い帰る事すら出来ず上海で生きて行く事を強要される。そして、間も無く生き残りの馬賊が上海に現れ、陳真は仇を討つが妹も災禍に巻き込まれ死亡、彼は身寄りを全て無くしてしまう。そんな日々の中彼は一人の女性と知り合う。彼女の名は「由美」。日本の武田公館の主、武田の娘で中国人とのハーフ、ついでに心臓病持ちである。彼女との恋愛を軸に物語は回転し始める。或る日喧嘩に巻き込まれた陳真はそこでK社会の頭目に注目され、その用心棒として雇われることになるが、上海で人望強さの両方で皆から慕われている霍元甲に対して、陳真は雇い主の息子にそそのかされて喧嘩を売るが、勝てる訳もなく敗退、ついでに雇い主から首にされてしまう。どうしようもなくなった彼を霍元甲は精武門へと招き、弟子入りすると共に人力車の職を貰い、生活を始める。当初敵視していた他の精武門の弟子達とも仲良くなり、武田の娘とも仲良くなって順風満帆の生活を漸く得られたと彼が考えていたその時、我等が黒龍會は暗躍を始めていたのだった。彼らは中国武術の神話を打ち砕くべく続々と刺客を送り込む。それらを片端から撃破して行く陳真を始めとする霍元甲達精武門を危険視した黒龍會は武田の娘の本来の婚約者を霍元甲と試合させる。(戦いの日々の中、陳真と武田の娘との関係は抉れ、彼女は結局日本人であるその男に嫁ぐ決心をする)が、その前日に霍元甲は食物に毒を盛られ試合当日、彼は敢無い最後を遂げる。師父の死の真相を知った陳真は仇討ちを行い、見事勝利する。婚約者は陳真の情で死ななかったが黒龍會の鉄の掟(笑)によって自決。娘はどうしようもなくなり陳真の所にやってくる。物語もこの辺になると日本軍(黒龍會)による中国侵略作戦が表面化し、民族意識高揚の演出が高まってくる。そしてついに日本から最後の刺客、今までの空手家の師匠がついにやって来る。彼は武術家としての誇りを持ち、陳真との戦いで敗れはしたものの、陳真の心意気に打たれ武田に黒龍會のやり方に苦言を呈しに行く。がそこで意外なほど強かった武田の日本刀の前に(やはり)あっさりと殺されてしまう。ついに陳真は自分の倒さねばならない本当の敵が誰なのかを悟り、彼は娘と共に武田との対決に望む。武田は作戦の失敗を既に悟っており、自分の妻に手を下し、あまつさえ陳真との戦いに敗れた自分の助命嘆願をする娘まで手にかけて自刃する。瀕死の娘は陳真に精武門道場にある霍元甲の霊前につれて行く様陳真に懇願する。そして彼女は霍元甲の霊前で詫び、民族の対立の無くなる事を願いながら死亡する。其の時既に精武門道場は日軍だけではなく、各国の兵隊によって包囲されていた。陳真の起こした騒ぎは他の国の連中にとっても軽視できない程のものとなっていたのである。仲間がいくな!と制するにも関わらず、彼は「何故逃げる必要がある!?」と語気鋭く道場の門を開ける。目前には小銃を構えた兵隊がズラリ。だが陳真は怒りの叫びを上げてその中へ飛び込んで行った。

 話は要約するとこんな感じである。本編にはこの他にも裏切り者が出たり、とか「東亜病夫」の話があったり、K社会の頭目の恋人を巡るドラマがあったりと飽きさせず、兎に角面白い。ドニー・イェンがなりきり状態でやってるのがすっげえ気持ちよさそう。黄飛鴻のTVシリーズみたいに字幕付きVCDででないかしらん。


4.『新少林寺伝説 洪煕官』にみる日本の某劇画の影響
 『新少林寺伝説 洪煕官』。李連杰が出演した映画の中でも指折りの数々の伝説…ガキが三人集まり腕を組むと何故か「無影脚」が繰り出せるとか、毒に身体を浸す事でおっさんが何だか良く判らない泥人間になれ、あまつさえ奇怪至極な車?に搭乗する事が出来るとか…を世に出した、まあボンクラ映画としての要素を十二分に備えた快作だった訳ですが。其れは置くとして、この映画を観てデジャヴーを感じた方はいなかったでしょうか。李連杰演ずる洪煕官が一族を一人息子文丁を残して皆殺しにされ、息子を目の前にして片方に剣、もう片方に木馬の玩具を置いて、剣を選べば父と共に生きる、木馬を選べば亡き母の下に送ってやると幼い、未だ分別の付き様がない文丁に選択させる場面。そして文丁が最初玩具の傍に行くにも関わらずすぐに剣を選び、洪煕官と共に血河を渡る人生を選ぶくだり。そして赤ん坊バージョン文丁が乗せられていた箱車。更には文丁の殺気を湛えた死生眼、泥怪人寧と戦う父親に来るなと言われても蹴られても縋り付く態度。そう。あれは香港映画版『子連れ狼』といえる内容なのです。ネタがパクりなのは云うまでもありませんが、バリー・ウォンはあれをよく判った上で昇華したと誉めるべきでしょう。尤も本家に敵わないのは洪煕官が文丁を修羅の道か死かを選ばせた理由と言うのが「逃げる」に当って幼いお前には辛かろうと言う言葉を使いましたが(注:筆者は日本語版は全く観ておりません。)小池一男&小島剛石の「これからの父は血と屍の道 殺戮と非情の刺客道をたどる」原作(笑)では其の様な軟弱な発言が出る訳もなく香港映画よりも更に理不尽極まりない台詞「もちろんお前には何もわかるまい……しかしお前の五体に流れる拝一族の血が それを決めてくれよう……えらぶのだ大五郎ッ!」で決定させています。箱車の形は私が確認する限りでは『子連れ狼』と同一です。物語冒頭で早々に破壊されてしまう為印象は薄いのですが。箱車に槍が隠されていた所も似ていますが流石に箱車をちゃんと見せてしまうとやばいと判断したか、原作のように掴み棒の全てが長巻きになると云う所まではならなかった様です。しかし…こうして原作を久しぶりに読み返すと原作の方が台詞において完全に理不尽さでは上を行っていたか。まだ捨てたものでもないな(何を


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