
天才マルチタレント・所ジョージ氏が面白く、暮らしに役立つ新しい言葉として考え付いた「四字列語」。一般からの応募も募っていた四字列語を名馬電機でも考えてみよう、というコンセプトの元で作成。ここに掲載しているのはMaybaTimesの四字列語コーナーに掲載されたもの。
索引 あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行
他人に責められて、言い訳をしたら小さなダメージ(ヤケド)を受けた。こんな時に言い訳をしたためにヤケドをしてしまったと考えるか、言い訳をしたおかげで小さなヤケドで済んだと考えるかは本人次第。このように結果は同じなのに本人の考え方、気の持ちようで受け止め方が大変異なるようなことをさす。
【使用例】「昨日競馬で万馬券を当てたんだけど、一日のトータルではマイナスだったんだよ。これって喜んでいいのかな?」
「それは言訳小焼だけど、とりあえず喜んじゃえば?」
「エジプトのピラミッドに雪が積もった」などの異常気象をテレビで見る分には、不謹慎と分かっていながら少しワクワクしてしまう物だが、もし異常気象の影響が自分の身に直接降りかかってきたら、大変な事になって、ワクワクしている場合ではない。これと同じで普通なら怒るような事を言われても平然としているのに、何でもない会話(「オハヨウ」など)の中で急に怒り出したりする人も、遠くから第三者として見てている分には面白いが、身近な人にこういう人がいると大変である。そこからこのような人を異常気性と言う。
「雨天決行」だと、かなり思い切って「エイ、ヤー!」と雨に立ち向かっていくような感じがするが、雨くらいでそんな力を入れていては疲れてしまってガンバらないといけない肝心なところでガンバれなくなる。「決行」ではなく「結構」だったら、「雨が降ってる?結構、結構、気にすることなんかないよ」と、こちらが雨に対して余裕を持った態度で臨んでいる感じがする。このように力を抜くところは、変に力まずきちんと力を抜こう、という意。
【使用状況】「玉ねぎのみじん切りくらいでそんなに神経質にならなくていいんだよ。雨天結構でいかなきゃ。」
競馬新聞を見ても誰も印をつけていない、、オッズを見てもメチャクチャな高いオッズ。そんな大穴の馬を本命にするのはとってもリスキー。当れば「天才ギャンブラー」、ハズレたら「マヌケ」扱い。大失敗と大成功はいつも隣り合わせの関係にある、の意。
他人に物事を頼むには電話やメールではなく実際にその人の所へ二回以上足を運び、どれだけ自分が必要としているかを、相手に伝えなくてはならない。つまり本当に相手に何かして欲しいなら、その気持ちを態度で表さなければならない、の意。語源は英語の「I need you.(会い二度言う)」
【使用例】「アイツにメールで手伝ってくれって言ったのに、全然手伝ってくれないんだ。」
「メールじゃダメ。そういう時は会二度言でないと。」
最近の電車は準急とか快速特急など、細かく種類別に分類されて、目的地の駅にその電車が着くのかわかりにくい。逆に特急と言っても結構停車するのであまりお得感がない。とは言っても「途中停車なし!」と銘打って「回送特急」なんて作っても車庫に入るだけで誰も乗らない。転じてわかりにくくするのも困るが、極論に走り過ぎるのも困る、という意味。
【使用例】「小遣いの交渉で粘ってたら『ごちゃごちゃ言うなら一銭もやらん!』って言われちゃった。」「それは回送特急だなぁ。」
説明のための図示も寿司のように回転させてはじっくり見る事ができず、意味を成さない。この事から、物事には適切な方法があり、それに従わなければ何事も台無しになる、の意。
使用例「おたまでご飯を盛るなんて、回転図示だよ。」
シャープペンシルの芯を替える際に、フタを取って後ろから入れるのではなく、敢えてシャープペンシルの書く方から替え芯を入れ、替え芯を折らずに、一発で入れられた時のような、地味ながら密かに会心な出来事の事を指す。
【使用状況】「スーパーのレジで会計をすると3000円キッチリだった場合。」「辞書を開くとそこは、調べたい語のページだった。」など
自分の都合が悪くなると「体調が良くない」などと病気を患っているフリをして、周囲を困らせる迷惑な総裁またはそれと同じような(本来なら)立派であるはずの立場の人のこと。
関東と関西、見た目はそれほど大きな違いはないが、文化、習慣、人間性などは全く異なっている。このように外見上同じように見えても、中身は全く異なる物や人のことを指す。
【使用例】あそこの家の双子の兄弟、見た目ソックリだけど、性格は正反対で、まさに関東関西だよ。
旅人のコートをどちらが脱がすことができるか、という勝負を太陽と北風がしたところ、北風の繰り出した寒風が旅人のコートを吹き飛ばしてしまった。
このように、時には頭を使うより、力技で押し切ったほうがうまく行くこともある、の意。
【使用例】「ピッチャーは変化球を使わず、ストレートだけで打者を打ち取る寒風勝利。」
見栄、世間体や自己満足といった動機から差し伸べる救いの手。動機はやましいのに、行為自体は良い事というような、矛盾を抱えている状態に広く使われている。
何事においても行動を起こさなければ成功しないし、何も得られない。多くの場合、一番最初に行ったり、取ったりした人が勝者となるので、物事には積極的に取り組まなければならない、の意。語源は総合芸術ユニット「明和電機」の社訓「やったもんがち、とったもんがち」。
【使用例】「このプロジェクトを行勝取勝の心構えで進めて行きます。」
何をするにも化粧をしないと気が済まない女性が食事をするにも化粧、テレビを見るにも化粧、化粧をするにも化粧、化粧を落とすにも化粧、というふうになってしまった。このように1つのことにこだわりすぎて、何が目的でしているのか分からなくなってしまった状態。
【使用例】「生活を楽にするために節約していたのに、今は節約しすぎで生活が苦しいんだ。」「それは化粧先決だね。」
その日その日の失敗などを、書き連ね後悔するための日誌。失敗から学ぶ、と言うような前向きなものではなく、「ああしていれば良かった」「なんでできなかったんだよ」と、ただただ後悔するだけの後ろ向きな日誌。
「日本の高速道路は渋滞で全然動かないから、低速道路だ」と考えている人が多いと思うが、実はチャンと「コウソク道路」なのだ。ただ少し字が違って、渋滞にハマると、脇道も無く出るに出られず、動けないことから「拘束道路」という字を書く。転じて「一度ハマってしまうと、なかなか抜け出せないがんじがらめな状態」のことを指す。同音同義語に「校則道路」がある。
【使用例】酒やタバコは一度習慣になると、たいていは拘束道路になってしまう。
安全だと思っていたところから不意に攻撃される、といったような予想外のアクシデントの事。またそのような予想外のアクシデントの方が受けるダメージが大きいという意味も含む。
普段温厚な小堺一機(かずき)氏のような人が一揆(いっき)を起こした方が周囲に与えるインパクトが大きいのだ。
【使用例】「まさか10対0から9回に逆転されるとは思わなかったよ。」「まさに小堺一揆だね」
「五里霧中」は、どうしたら良いのか分からない状態を意味するが、これは世界中がオリンピックに夢中になって自分が何をしているのか分からない状態になる事から自分が今何をしているのか分からなくなるほど、一つの事に熱中しすぎている状態指す。
【使用例】テレビに五輪夢中でそうめんをビールにつけて食べる。
根っからのバクチ好きは、いくらやめようと思っても、再びバクチの道に戻っていくが、そこで成功してお金を手にする事はほとんど無く、どんどん転がり落ちて、自爆して下手をすると血を見るような事になってしまう。読み方を変えると「サイコロバクチ」になる。
【使用例】「となりの御主人が町金でお金を借りてまでギャンブルしてるんですって。再転爆血にならなきゃいいけど。」
たとえ心がこもっていなくても、型通り背中に三角定規をあてておじぎをしていると、自分がとても行儀の良い人間だ、と勘違いしてしまう事から、周りから見ているとおかしいのに本人はこれで良いと思い込んでいるため、なかなか気付かない事。
語呂が良く、聞くぶんや言うぶんには良いが、実際にやってみると三歩しか散歩しないのだから全く意味がないことである。このようにうわべだけ見ると良いものでも、実際には大したことない物事をさす。
【使用例】「あの人ルックスは良いんだけど、話してみるとなんかやな感じで、三歩散歩なんだよね。」
首相は国を代表し、その国の顔である。そのため常に人々から注目されることになり、常に評価、批判される。しかも首相自身は会ったことも無いような人にまで批判されるのだ。このようにありとあらゆる人から評価・批判される状態のことを言う。
【使用例】「私の服装はどこへ行っても批判される。まさに首相鑑定だよ。」「それはセンスの問題でしょう。」
世間が「クリスマスだ、クリスマスだ」と騒げば騒ぐほど、一緒に騒ぐ人間がいない人達は、苦しくなる。「聖夜苦増」、「聖夜苦しみ増す」、「聖夜クルシミマス」。
後のことを考えずにとりあえず「カッコイイかも。」という浅い考えで船の免許(船舶免許)を取ってはみたものの、実は船なんか持っていないし、それを買うお金すらない、ということに免許を取った後で気付いてしまうようなマヌケな状態のこと。目の前のヴィジュアルや楽しさに引かれて本能のままに行動してもそれは楽しみの前借りでしかない、という戒めの言葉。
使用例「授業をサボって遊んでばかりいると、浅薄免許になっちゃうぞ。」
かつては「サル」と呼ばれていた農民出身の秀吉も、あれよあれよという間に出世し、太閤まで上り詰めた。サルといえば太鼓を使った芸が思い起こされるが、たとえどんなにこっけいなものでも、大出世を遂げる事もある、の意。
【使用例】「あそこの会社の社長さんは平社員からのたたき上げなんだって。まさに太鼓秀吉だね。」
その名の通り台風のように激しい一家。
帯にするには短い、襷にするには長い。そういうヒモは「帯には短いし襷には長いなぁ。」などと言ってないでちょうどいい長さにスパッと切って襷にしましょう、ということ。つまりごちゃごちゃ言ってる間にスパッと実行する事がスマートなやり方、という意味。
【使用例】どこかの道路公団の総裁は短帯切襷に止めてもらいたいね。
霊界に詳しいサッカーチーム。審判がミスジャッジをしても、審判が「見たんだからぁ、仕方がない。」と言えば、選手は素直に納得する。
届いて欲しいメールや、届くはずのメールは、待っている時に限ってなかなか届かず、どうでもいい広告メールに限って、よく届くものである。転じて期待している事などはなかなか起きない、の意。
【使用例】「今日も雨か、これじゃあ、遠足は順延だな。」「みんな楽しみにしていたのに、やっぱり、手紙不着だね。」
直接会わず、電話で「次は誰々に連絡して。」と言って連絡事項を回して行くと、いつの間にか巡り巡って、自分の所に連絡が回ってきたりする。このようにしてリレー方式での電話連絡はシステムとして弱く、やはり物事は直接会って、直接伝えましょう。という意味。
ちなみに「電話伝輪」読みを変えると「でんわでんわ」、「でんわにでんわ」。うまく伝わっていても途中の誰かが電話に出ないとその後には全く伝わらなくなる。やっぱり面倒でも直接会うのが良い。
「世界ふしぎ発見」の解答者が「ひとしくん人形」を賭けて問題に答え、間違うと人形を没収されるように、何かを賭けて、良くても現状維持、ダメならゼロという、ハイリスク・ローリターンな分の悪い状況を指す。
【使用例】「1.0倍のオッズの馬の馬券を買うなんて、人形没収だぞ。」
阪神ファンは当然の事だが、阪神タイガースの事が好きである。そして阪神が勝つと、まるで我が身の事のように喜ぶ。しかし阪神が好きであればある人ほど、阪神の調子が良い時には「この勢いは最後まで続かないんじゃないか?」と心のどこかで疑ってしまう。そんな「好きゆえに信じられない」というような状況を指す。
【使用例】「どうして信じてくれないんだ。私の事が嫌いなのか?」「そんな事ない!阪神半疑なだけなの!」
スギやヒノキは種を保存するために花粉を飛散させているだけなのに、、人間の中の花粉症患者にとっては、ハナ水、涙、くしゃみが止まらず、悲惨な状態になってしまう。
このうように立場が違うと1つの事も全く異なった利害関係が発生する事を言う。
【使用例】「雨が降ってくれたおかげで水不足も解消しそうだ。」「でも楽しみにしていた甲子園の阪神−巨人戦は中止だからね、飛散悲惨だよ。」
「みんなが着ているから同じような服を着る」「みんなが盛り上がっているからとりあえず盛り上がる」ある程度の協調性は大切だけど、百人が百人同じカッコで同じ事して同じ事やってたら、つまらないし第一キモチワルイです。将軍様のいるどこかの国みたいです。そんな過剰な同一化に警鐘を鳴らす言葉。
「四字じゃないじゃないか。」という意見は受け付けない。良妻賢母なら字のごとく「良い妻であり、賢い母」ということになり、家族にとっても非常にありがたい存在だろうが、不良妻賢母となると、まさに読みのごとく「不良債権のような母」という意味になる。こういう人に限って償却してもなくならない。まさに不良債権。
休みなく、家族サービスを犠牲にして家族に嫌な顔をされても、「家族のため」と一所懸命に働いたのに、給料が支払われない、というような二重に不幸が訪れる全く報われない状態。思わず「むきゅー。」と訳の分からないコトバを発してしまうような時に使われる。
《類語》「泣きっ面に蜂」
国会議員になった鈴木宗男氏とお笑い芸人になった坂田利夫氏。顔は似ていても生き方は全く異なっている事から、人相がその人の人生を決めるのではない。転じて占いなどの類が、エンターテイメントの域を出ない物だという事を意味する。また国会議員になっても、警察に捕まってしまうこともある事から、人生は終わってみないと分からない、の意味も含む。
【使用例】「今日のうお座は幸運なはずなのに全くついてないよ。」「やっぱり占いなんて宗男利夫なんだよ。」
相手が勇ましいトラのように強大であり、その上相手が、自分に三回も塩を送るほど余裕を持っている状態では、無駄な抵抗をしないほうがよい、の意。読み方を少し替えると「もうこさんえん」→「もうこーさんしおー」→「もう、降参しよう」となる。
「□肉□食の□に文字を入れて四字熟語を作れ」という問題(正解は弱肉強食)に対して必ず返されるお決まりのボケ。転じて「お約束」、「習慣」となっている事柄全般を指す。
【使用例】「政治家がまた汚職事件で捕まったぞ。」「その手のニュースは焼肉定食だな。」
「車の車輪のように、人の魂は死んだ後も、永遠に形を変えて生き続ける」というのは「輪廻転生」だが、仮に魂が形を変えて生き続けたとしてもそう都合よく身内に魂が宿るのだろうか?身内の先祖に似るのは単なる遺伝だろう。死ぬ人間と生まれてくる人間の数を考えると、全くの他人に魂が宿る方が確率的に高いのではないだろうか?そんなふうに全くの他人に魂が宿ることを説く、デタラメ仏教用語。