連城訣〔全二巻〕

 青年狄雲は湘西・麻渓鋪に師父の「鐡鎖横江」戚長発親娘と修行の日々を送っていた。しかしある日師父が荊州に住む師伯・萬震山の誕生祝に行く事を決定した時から、彼の人生は狂ってゆく事になった。皇帝の宝の在り処を示す『連城訣』を巡っての陰謀に巻き込まれ、師匠は師伯殺害未遂の廉で謎の失踪、自分は盗人としての濡れ衣を着せられ投獄される事になる。そして彼は目にも惨たらしい廃人同様の身体にされてしまった。狄雲にとっては師妹・戚芳だけが心の拠所だったが、彼は獄中で愛する師妹が萬震山の息子・萬圭に嫁いだ事を知らされ絶望。自殺を図るがそこを同室の囚人で武術の達人・丁典に救われ、彼と共に脱獄する。「連城訣」の秘密とは、師父失踪の謎とは?純朴な青年が残酷な現実の中で掴んだものは一体何だったのか…。

 現在までの時点で翻訳された金庸の武侠小説の中で『最も読みやすい』小説。出演キャラクターの数は少ないし、翻訳された文が無理して中文単語を日本語に合わせていない、其れでいて読みやすい事も素晴らしい。一気に読める…この感覚を得られたのも久し振りだった。射G英雄伝の郭靖に比べると主人公が感情移入できるレベルのキャラクターであるのも原因だろうか。兎に角読みやすい、と云うのが素直な感想である。新聞連載で無かった事も幸いだったのだろう、章毎に焦点がばらばらとしていないのも有難い。ネタ的にも受け入れられやすいと思われ、今後誰かに金庸の武侠小説を勧めるときにはこれを紹介する事にしよう。オチが理想的な形で終了しているのも、何とも良い気分にさせてくれる。其れまでの展開が少々急ぎ過ぎな感じはしなくもないが、妥協出来ないレベルではない。
 主人公が孤立→知己を得て自分を取り戻す→江湖を捨て幸せを得るというのパターンは『笑傲江湖』と同様であるが、巻数が少ない分だけメリハリが効いている。必要な部分だけを凝縮して纏めた、と云っても良いかもしれない。如何せん、金庸の武侠小説はどうでもいい登場人物が多過ぎるきらいがあり、特に原文で読んでいると一々何処かにメモをしておかないと誰が誰かさっぱり判らなくなる(それは私の読解・記憶能力に難があるだけだが)。徳間社の発刊物に栞代わりの人物一覧表があるのは、その点で大いに助けになる訳であるが、今回はその栞も殆ど見ずに済んだ。

この物語でのお気に入り:  血刀老祖。丁典も捨て難いが、彼の下巻におけるせこさ炸裂(良い呼び方をすれば老獪)な戦い方が素晴らしい。西蔵(チベット)の血刀門派の総領だが、人を食べる事など何とも思わぬ残虐性といい、『信義』の二字など犬の糞だと云い切ってしまうそのどうしようもない自己中心的な態度といい、極悪人の名を欲しい侭にしている様が妙に勇ましい。これで実は弱いという事になれば話は別だが、彼の外家功は実際大した物で、雪中(本当に雪の中だ)を自在に動き回り、その比類無き切れ味の紅い名刀・血刀を自在に振るう強さは痛快ですらある。死に方が情けなくついでにあっけないのも悪人らしくて頷かせるものがあった。合掌。それにしても、武侠小説で出てくる西蔵出身の連中に悪人の数が圧倒的に多いのはどう云う事だ?私の知らないルールでもあるのだろうか。まさか、異民族だから悪人が多いと言うわけではあるまいな。

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